夢物語【完】
「お金払ったの僕じゃないんだ」
「え?誰ですか?」
「ナリだよ」
そう言って持っている財布をあたしに見せた。さっきはちゃんと見てなくて気付かんかったけど、それは今日何度も見てる財布。
間違いなく高成の財布だった。
「だから、お礼はナリに言ってね」
そう言ってあたしの頭を撫でた悟さんが微笑んでくれた。
そうして悟さんと並んで歩いていると外の異変に気付いた。
そんなに時間があったわけじゃない。
ほんの5分くらい。いや、もうちょっとあったかもしれん。
あたしが高成と離れたのはそのくらいの時間やったと思う。
先に高成が店から出てて、あたしは他のメンバーとまだ店の中にいて、頭の中でこれからどうするのか話し合ったり、お母さんのことも高成に話さんとあかんなぁって思ってた。
そんなことをのん気に考えてたから、気付くのがちょっと遅れた。
あの子が言ってた言葉の意味がようやく理解できた。
ほんの10分も経たん間に知ることになった。
今後こういうことがいっぱいあるんやろうなぁって、その状況を見ながら思った。
絶対ないことはない。この日本中であたしみたいな女の子は数え切れんくらいおって、近付きたくて、でも届かん人で、毎日ウズウズしてる人がいっぱいおる。
あたしも一緒やし、考えることなんかわかってしまう。
その中で唯一のポジションを手したのはこのあたし。
“彼女”っていう女の子の中では最高位のポジション。
どんなに周りに可愛い子がおっても、綺麗な人がおっても、唯一特別扱いしてもらえる“彼女”というポジション。
嬉しくて、悲しくて、寂しくて、でも忘れられんくて、素直になって、ようやく手に入れたこの“彼女”っていうポジション。
そんな名ばかりのポジションも消えてなくなるかもしれんって思わせられるくらいの群れ。
甘く、響く、愛の言葉。
彼女であるあたしの目の前で繰り広げられるこの光景。
こういう場面に遭遇したら絶対怒り狂うと思ってた。
でも実際、こんな光景を見ても冷静で立ってられる。
どこからこんな余裕が生まれんだって思うくらい。
いや、違うかもしれん。
“余裕”じゃない。“余裕”じゃない何かがあたしをまとってる。
真っ黒で、汚くて、高成には絶対見せたくない心のダークな部分。
嫉妬?いや、それも違う。
嫉妬ならこんな感じじゃない。
嫉妬なら想像通り怒り狂ってるはず。
劣等感?それも違う。
じゃあ、なんであたしは動けない?
自分の彼氏が囲まれてるっていうのに、なんで何もせえへんの?
なんで?なんで?なんで?
黄色い声が、高成に触れるその手が、憎くてたまらないのが素直な気持ちやのに、あたしは動けない。
「ほら、言わんこっちゃない」
そう呟いたのが涼介やってわかったから振り向かんかった。
そう呟いたのがあの子以外の誰であっても、あの子が言ってたことが“こういうこと”なんやって理解できた。
高成の周りを囲む女の数。
歩道を通る人がわざわざ車道を通るくらいいっぱいいっぱいになってる。
どこで出回ったのかわからんけど、すごいファンの数。
番記者みたいにずっと出待ちしてたんやろうか。
その声は近所迷惑で、店にとったら営業妨害で、巡回してた警察官が騒ぎを治めるまで止むことはなかった。
その間、あたしはずっと高成を見てた。
他のメンバーも呆れながらもあたしと同じように治まるのをただ待ってた。
止めることも、話しかけることも、手をとって逃げることも、何もせんかった。
ただその光景を見てた。
迷惑そうにしながらも愛想を振り撒いて、もみくちゃにされる高成を、“彼氏”を、ただじっと見てた。
「ん~、どうする?」
「もうすぐ終わるやろ」
「涼ちゃん、ちょっと人目に付かないところに移動しようか」