冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
 自分の足音だけが薔薇達の間を抜けていく。
 緑の入り口に着こうとしたところで、フィリーナのものとは別の足音がこちらへと迫ってきている気配がした。
 びくりとして足を止める。
 昨日のメリーの仕打ちを思い出して、身体が強ばった。
 まさか、メリーのはずはない。
 彼女は今、地下に軟禁状態のはずだ。

 ――だったら、グレイス様が他の誰かを……

 そう疑わなければいけないグレイスの心が、心配でたまらなかった。
 今頃グレイスもきっと、フィリーナのように心を痛めているに違いないから。
 もしまだ、話しできる余地があるのなら、自分にできる精一杯のことをして差しあげたいとフィリーナは思う。

 ――今ここで、私の身に何もなければ、だけど。

 薔薇の木の陰にそっと身を隠す。
 こちらへ入ってくる人影は辺りを見回すと、少し先へと進んで声を上げた。

「フィリーナ? いるのか?」

 聞こえた声に、耳を疑う。
 鼓膜から入ってきた澄んだ声は、心臓へと突き抜け胸を弾けさせた。
 喉の奥で心臓が暴れだす。
 その音が漏れ聞こえてしまいそうで、口を手で覆った。
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