冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
 身の程を知らない勘違いから目を覚まさせるように、覗き込む瞳から顔を背ける。
 だけど、一度離れた掌は、逃げるフィリーナを捕まえるように頬を掬った。

「私が気にするのだ。君を、放っておけないと言っただろう。いなくなられては、困ると」

 真剣な思いが、漆黒の瞳の中に揺れる。
 真っ直ぐに落とされる眼差しに、胸が痛くなるほど鼓動が弾けた。

 ――なぜ、そんなこと……
 私なんか、ディオン様が守るべき多くの国民のうちの一人にしかすぎないのに。

 そうよ……
 私は決して特別なんかではないわ。
 ディオン様だっておっしゃっていた。
 “手の届くすべてのものを守りたい”と。
 あくまでその中の一人にしかすぎない。

 それに……

「ディオン様には、レティシア様という心の支えとなられるお方がいらっしゃるではありませんか」

 大勢の前で、さっき宣言されたばかりだ。
 王政を担う重責には、心の支えが必要だと。
 国のためとはいえ、妻となる女性の存在は大きいはずだ。
 自分ごときが支えるなど、身の程を知らない言葉を打ち消したくて、心がずきずきと羞恥に痛んだ。
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