冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
「先ほどから、そう言っているつもりだったのだが。いらぬ世話だったな、すまなかった」

 フィリーナを離してしまうディオンがあまりにも物哀し気な声を出すから、喉の奥がきゅうと締めつけられる。
 一歩分だけ距離を取られると、途端に触れられた温もりが薄れて、胸に切なさが押し寄せた。

「とても身に余る光栄でございます。わたくしのような下女を、一国の王となられるお方に気に留めていただいて……
 ですが、そんな風に甘やかされてしまいますと、わたくしも、自分の身分にそぐわないことを思ってしまいます」

 あんなに遠く霞むような煌めきの中にいた高貴な人が、今目の前にいるということだけでも奇跡に近い出来事だ。
 それなのに、温かく抱き寄せられて、優しい言葉を掛けられて、十分に贅沢な思いをしているのにもかかわらず、少し離れてしまっただけで淋しいと思ってしまうなんて……

「どのようなことを、思っている? 聞かせてくれないか」

 薔薇の香りを乗せた夜風が、漆黒の髪をさらりと撫でていく。
 その前髪の裾野で、フィリーナを見つめる瞳がゆらりと揺らめいた。
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