冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
「フィリーナ」

 お辞儀から直るフィリーナを待ち受けていたのは、漆黒の瞳の揺らめき。
 呼び止めたものの何も言わずにフィリーナを見つめるディオンに、首を傾げた。

「ディオン様……?」
「……いや、今日はご苦労だった。ゆっくり休みなさい」
「はい……」

 別の何かを言うのかと思ったディオンは、柔らかく目元を緩められるだけだ。
 近頃よく見るようになった柔和な表情に、ささやかに胸をときめかせると、ディオンはフィリーナの頭をそっと撫でた。

 突然に触れる温かな感触に、頬が熱くなる。
 けれども、その瞳にとても儚い切なさが見えた気がして、胸がきゅうと苦しくなった。

 ――切なそうなお顔の裏では、何を思っていらっしゃるのですか……?

 ――“そんなことを言ってくれるな……すべてを投げうってしまいたくなる”

 さっき薔薇園で見せられた顔と同じ表情が見えて、少しでも自分との距離を切なく感じてくれているなら、だなんて、うぬぼれたことを思ってしまう。

 その心がどうしても気になって、そばを離れがたく立ち去るのをためらっていると、静かな廊下にかちゃりと扉の開く音が転がってきた。
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