理想の『名字』の男の子
「ねえ、聞いた? このクラスに、転校生くるらしいよ?!」

 その朝、騒々しく飛び込んできたのは、小川ちゃんだった。何だろ、ご先祖様は川は川でも、小さな川――小川が好きだったのかな、みたいな苗字の。
 けど、当の小川ちゃんは、そんな呑気な風景とは真逆の性格をしていた。ちろちろ流れる「小川」ってよりも、ごうごう音を立てて流れ落ちる「滝川」のほうがふさわしいようなうるさ型の女子。
 とにかく、その小川ちゃんは隣のクラスにまで響き渡るような声で言った。

「あたし見たんだって! カバと転校生が話してるとこ!」

 「カバ」は、「椛原(かばはら)」という苗字のこのクラスの担任だ。少し珍しい苗字かもしれないけど、「カバ」なんてあだ名をつけられるのはゴメンだから、結婚相手としてはNGマーク。ま、先生はもう結婚してるらしいんだけど。

「転校生?」
「男子? 女子?」
「顔は見た?」

 小川ちゃんのニュースに、すぐに教室は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

「男子がいいなあ。イケメンの」
「何言ってんだよ、女子だろ女子。お前らみたいに乱暴じゃない女子求む!」
「男子ってバッカじゃないの!」
「痛ってえ! このゴリラ女!」
「か弱い女子に何てこと言うのよ!」

 と、そこで小川ちゃんが高らかに宣言する。

「転校生は、なんと男子です!」

 きゃああっ、と黄色い悲鳴が上がる。何だつまんねえ、と言いつつ、男子も嬉しそうだ。きっと遊び相手が増えるのが楽しみなんだろう。男子って子供ね、あたしが思わずつぶやくと、隣の凜花が口を開いた。

「どんな人だろうね? チョコちゃんのお眼鏡に適う、珍しい苗字の人だといいね」

 田川智世子。略してチョコちゃん。
 あたしのことをそう呼ぶ大親友は、くすりと笑う。

「まずは苗字、だもんね」
「そうそう、わかってくれるのは凜花だけだよお」

 あたしは大げさにそう言って、凜花に抱きついた。あー柔らかくっていい匂い。苗字も珍しいし、女同士ってことを除けば、凜花と結婚してもいいんだけどなあ、少々本気であたしはそう思う。

「チョコちゃん、また変なこと考えてるでしょ」
「あ。バレた? 許されるなら、凜花と結婚したいなあって思ってた」
「もう、そんなことばっかり」

 凜花のふくれっ面。でも、そんな顔も食べちゃいたいくらい可愛い。あたしがあーんと口を開けようとしたとき、カバが教室に入ってきた。

「おい、チャイムはもう鳴っただろ。ちゃんと席に着け!」
「ねえねえカバ、転校生が来たってホント?」

 きっと傍に梅の林でもあったんだろう、梅林さんがタメ口をきく。先生のキャラもあるんだろうけど、その苗字で舐められてる部分は大いにあるんだろうから、ホント「椛原」になんてなりたくない。先生の奥さんは結婚するとき、少しも気にならなかったんだろうか?

「まったく、お前らそういうことだけは耳が早いな」

 先生はそう言うと、戸口に向かって手招きをした。小川ちゃんの言ったとおり、一人の男子生徒が入ってくる。その姿を見て、おお、教室がどよめいた。かっこいいかも、女子が囁き合う。
 日焼けしたような浅黒い肌に、少し彫りの深い顔立ち。すらりとした長身で、足も長い。
 確かにカッコイイ。あたしは認めた。けど、問題はそこじゃない。いくらかっこよくたって、佐藤や山田じゃ台無しだ。あたしが求めてる人じゃない。できたら「二階堂」クラス……少なくとも、「橘(たちばな)」レベルでいてもらわないと――。

「じゃ、早速自己紹介を」

 先生が促す。あたしは全身を耳にして、苗字の発表を待った。

「初めまして。押上中学から転校してきました。名前は、か――」

 加藤? 梶? 海棠ならギリギリいけるか?!
 しかし、期待したあたしは次の瞬間、雷を撃たれたような衝撃を受けた。ただし、それはあたしが待ちこがれていた衝撃ではなかった。
 なぜなら、彼はこう続けたのだ。

「名前は、カカオ林、真吾です」
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