能ある鷹は恋を知らない
朝から院長の意図の掴めない言動、そして御堂さんの存在に午前診だけとは思えないほど疲れていた。
スタッフルームで黙々と着替えていると舞子が声をかけてくる。

「どしたの、元気ないね」
「んー、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ」
「やっと週末だもんね。ゆっくりしなよ。あ、そういえば朝来てたね、御堂グループのお嬢様」
「…舞子も知り合い?」
「知り合いっていうか、親の銀行とは繋がってるかな。あのお嬢様、一人娘だからいずれ御堂グループを継ぐのは決まってるんだけど、わざわざ勉強のために外資のコンサル会社で働いてんの。家柄ももちろんだけどかなり優秀だって聞いた」

御堂グループは日本の財閥とも関わりの深い超大手の総合商社だ。
そこの会長の孫娘、現社長の娘が御堂由加梨さんだった。
その境遇に生まれた彼女は私には想像もつかない大きなものを背負っているんだろうと思う。
その中にあって、さらに上昇志向を持って自ら仕事をしているなんて自分では考えられない。

「そういえば、この間のあれどうなったの?CEOとのデート」
「あれはデートっていうか、食事に行っただけ」
「えー何もないの?」
「ないない、ていうか高島さんとか住む世界違うような人だし。そこから何かなんてあるわけないよ」

それこそ高島さんには御堂さんみたいな女性が隣にいるのが自然だ。
自分が隣に立っているところなんて想像でさえ上手くできない。
精々がその日一緒に寝るだけのいくらでも代わりの利く相手だろう。
それでもいいと割り切れるならこんなにもやもやしないのに。



それから一週間。高島さんはクリニックには現れなかった。

あと一回で治療は終わる予定だし、クリニックとしては患者さんに来てほしいところだが、個人的には会いたいような、顔を合わせるにはエネルギーが必要というか、気を引き締めないといけない気がして複雑なところだった。

このまま高島さんと会うこともなくなればこのもやもやもなくなりそうな気がする。
惹かれている気持ちも今までに会ったことのない人だからこそ抱いている一時的なものかもしれない。
事実、高島さんの顔を見ていないこの一週間は比較的心に波立つこともなく平穏に過ごせていた。

単なる憧れだって思えるのが一番平和じゃない。

「よし、久しぶりに買い物でも行こうかな」

せっかくの休日、リフレッシュするために使わなくてはもったいない。
天気が良いのも相まってすぐに外に出たくなり、準備に取り掛かった。

「やっぱり人が多いな…」

駅前から少し歩き、雑貨店や服飾店を見て回る。
こんなに人が密集するなんて実家じゃ駅前くらいだったのに、ここでは日常に光景だ。

買い物に出て二時間が過ぎたころ、喉の渇きと人の多さに耐え切れず近くのカフェに入った。
時間的にもピークは過ぎていて、比較的店内は落ち着いているように見える。

すでに買いたかったものは買い終えたので休憩が終わったら帰ろうかと思案していたその時、久しぶりの楽しい気分に割って入る声が名前を呼んだ。

「芹香…?」

懐かしい響きに声の主を見上げる。

「孝太…」

名前を呼ばれた時点でその相手が分かっていた。二年も恋人として付き合っていた男だ。
こんなところでその声を聞くとは思わず、まさかと思って顔を上げるとあの時と全く変わらないその姿が驚いたように目を見張って私の顔を見ていた。

見つめあうお互いの間だけが時間が止まったように静止していた。

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