ビターチョコをかじったら
* * *

「もしもし。」
「め、珍しい…どうしたの?」

 木曜の夜に電話がかかってくることなんて、多分ほぼなかった。そもそも電話だって珍しい。

「…明日の夜、泊まりに来てくんない?」
「えっ…あ、明日は仕事後直行できないけど…時間も遅くなるけど、それでもいい?」
「それって、あいつと飲みに行くから?」
「あいつって松山くんで合ってる?」
「合ってる。」
「…なんか、怒ってる?」
「怒ってはない。」
「怒ってはないって含みがあって怖いなぁ…。怒ってないけど、どうなんですかー?」

 仕事用の声でもなければ、優しい声でもない。駅から自宅に向かおうとした紗弥の足は、くるりと方向を変えた。

「…昴くん、今お家?」
「うん。」
「じゃああと10分で昴くんのお家着くんで、待ってて。」
「え?」
「変なことでこじれて、ぎくしゃくしたくないんだもん。電話、一回切るよ?」
「うん。…待ってる。」

 こんな相島は初めてだった。今日は残業もあったけれど、まだ8時だ。会おうと思えば会える。それに、モヤモヤした気持ちで明日一日を過ごしきれる自信もなかった。相島は過去の人たちとは違う。相島と万が一にも別れるようなことがあったら、前のようにスッと切り替えできるとは思えない。
 
「イメージと違った。別れよう。」
 そんな淡白な文章が送られてきたとしても、そうかとしか思えなくて、この人もまた自分に対する理想があり、それを自分が提供できなかっただけなのかと納得してきた。
 顔を合わせずに終わりにしたことなど、いくらでもあるのに、今日の相島に会えないことには不安を覚える。紗弥の足は自然と早まった。
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