溺愛御曹司は仮りそめ婚約者
「話って、それだけですか? なら、人を待たせているので失礼します」


「待てよ。沙奈、今晩空いてるよな? せっかく再会したんだ。食事にでも行こう」

「奥様のいる方とは、行けません」

はっきりとそう告げて、その場を去ろうとするが、再び腕を掴まれてまた壁に押しつけられる。

「なかなか言うようになったじゃないか。昔は、俺の言うことをなんでも信じる素直ないい子だったのに」

「無知で、浅はかだっただけです」

どうして、こんな男を好きになってしまったのか。あの頃の自分は、本当にバカだった。

忌々しい記憶に顔をしかめている私をどう思ったのか、その男はふっと微笑んだ。

そして、指輪のはまっていない左手で私の頰をゆっくりと撫でる。それがとても不快たまらない。

「そんなことはない。君は賢い子だ。なあ、沙奈。やり直さないか? 君となら、いい関係を築けると思うんだ。沙奈だって、まだ俺のことが好きだろう?」

その言葉に、カッと頭に血が上った。この人は、なにを言っているんだろう。

男は、別れた女がいつまでも自分のことを好きでいると思いこむ人がいると聞いたことがあるが、この男もそう思っているみたいだ。

だいたい、いい関係ってなんだ。賢いってなんだ。私があのとき、黙っていたから? なにも言わずに、終わりにしたから?

ずっと苦しんでいたのに。幸せそうに笑う奥さんを見て、あの笑顔を壊してしまうことが死ぬほど怖かったのに。

あの笑顔を守るのは、この人の役目ではないの?

< 132 / 208 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop