溺愛御曹司は仮りそめ婚約者
「……ぁ、と……ご。とう……ご」
思い浮かぶのは主任の顔。ああ、私……こんなに彼のことが好きだったんだ。真っ先に名前を呼ぶほどに、大きな存在になっている。
胸を押さえながら、何度もその世界で一番特別な名前を呼ぶ。
固そうな名前だなんて思っていたのに、今はその響きがとても愛おしい。
「沙奈!」
ふいに名前を呼ばれて、逞しい腕に抱きしめられる。顔を上げると、険しい顔をした主任が私を見下ろしていた。
「と……ご」
その顔を見ただけで身体から力が抜けて、ほっと息を吐く。彼の香りとぬくもりに包まれただけで、呼吸が楽になった。
ほっと息をつく私を抱きしめた彼が、立ちつくしている森田さんを睨んだ。
「沙奈に、なにをした」
地を這うような怒気を孕んだ声に、森田さんの肩がビクリと震える。
「私は、なにも……。だって、ひどいわ。私はずっと、東吾のことが好きだったのよ。それにその人より、私のほうが……」
「きちんと話したはずだ。あなたに特別な感情を持ったことは一度もない。婚約のことだって、親同士が勝手に盛り上がっていただけだ。俺にその意思はないと、何度も伝えているよな」
「そんな……だって、そんな人より私のほうがあなたにふさわしいわ。結婚する気もないのに、図々しく東吾の隣に居座って。その人、なんの覚悟もないじゃない!」
彼女の言葉に、さらに主任の顔が険しくなる。
「……もう少しだったのに、余計なことしやがって」
凶悪な舌打ちとともに呟かれた言葉に、森田さんが目を見開く。
ドスの利いた声で呟かれたその言葉は、彼女の思う『理想の王子様』とは、かけ離れたものだったのだろう。