溺愛執事に花嫁教育をされてしまいそうです
食事の後、移動したバーで
目の前の男性は、琥珀色の液体の入ったグラスを傾けて、
室内で程よく流れているジャズの旋律に耳を傾けている。

ありすは普段とは違う、どこか大人びた光景に、
密かに胸を高鳴らせていた。
未成年のありすの前に置かれているのは、
カラフルな果物で彩られた綺麗なカクテル。

……ただし、瀬名の依頼で、
アルコールは一滴も入ってない、ノンアルコールカクテルだ。
細いストローにそっと唇を当て、
ほんの少し吸い上げると、
普段飲むジュースとは違う、
アルコールが入ってないはずなのに、
どこか酔ってしまいそうな甘い味がする。

「食事は楽しんでもらえたか?」
ほんの少し、瀬名の口調は砕け始めていた。
「はい、とても美味しかったです……」
でも、男性と二人きりで取るディナーは、
なんだか大人の世界に足を踏み入れたような気がして、
正直食事の味をゆっくり味わうこともできなかった。

それに、食事の後、
こんな風にバーカウンターに座るなんてことは、
生まれて初めてで……。
なんだかふわふわしたような気持ちになっていた。

「そうか、よかった」
それに、もっと強引に迫ってくる印象の瀬名と
こうやって穏やかな時間を過ごしていることに
不思議な感じも覚えている。

「……吸ってもかまわないか?」
ふと落ちた沈黙の隙間に、一言尋ねてから煙草に火を着ける。
そんな仕草もなんだか、学生とは違う世界を感じさせる。
微かに漂う煙の匂いも、思ったより嫌じゃなかった。

鼻筋が通ってて、横から見る瀬名の顔立ちは、
やはり端正で、精悍に見える。
ああ、大人の男性だ、なんて思ってしまって、
ありすは少しぼぅっとしたまま、
横で煙草を吸う男の姿を見つめている。

「あの、しゅん……すけさん」
その名を呼んだ時、ふと、しゅんくんの横顔がその人に重なる気がした。

そういえば、この人も、『しゅんくん』と呼べるんだ。
そう思った瞬間、
懐かしい気持ちと、なんだか少しだけ
自らの記憶の曖昧さに、
焦燥感交じりの切なさを感じる。

「──なんだ?」
煙草の火を消すと、瀬名は横に座るありすを
頬杖をついて見つめ返す。
「この間、昔あのホテルの中庭に、
来たことがあるっておっしゃってましたね」

「ああ……確かに何度か行ったことがある。
父親の仕事の関係で、
家族連れで招かれた時とか、
暇で仕方なくて、よく会場を抜け出してたな」

きっとこの人は子供のころから
やんちゃな少年だったのだろう。
そう言えば木に登って怒られた、と言っていた。
くすっと思わず笑みがこぼれた瞬間。

「……何を考えている?」
ありすの頬に瀬名の指先が触れた。
指先が、頬を撫でていく。
その少しだけ硬い指先が、
女性とは違う男性のそれだと意識させる。

「──っ」
思わず目を見開いてしまったありすを見て、
瀬名は小さく笑みを浮かべた。
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