日常に、ほんの少しの恋を添えて
 とてもじゃないが今日は食べる気がしない。
 
 そうこうしているうちに終業時間を迎えた。きっと専務は忙しいから、すぐに来ないだろうと高を括っていたら、あっという間に専務が私を迎えにやって来た。

「長谷川、帰るぞ」
「は、はい……」

 きっぱりと言われ、挨拶を済ませた私は皆の好奇の目を背中に受け、専務に支えられつつ松葉杖をついて駐車場に向かった。

 専務の車に乗せてもらうのは何度目になるだろうか。しかも仕事ではなく、プライベートで。
 でもそれも今日で終わりなんだと思うと、寂しくて仕方ない。
 私のアパートに着くまで、専務はあまり口を開かなかった。私も、何を言っていいか分からなくてただ黙って車に揺られた。
 
 しばらくして私のアパートの入り口付近へスムーズに車が横付けされた。先に車を降りた専務が私を助手席から下してくれる。

「ここで待ってろ。車置いてくるから」

 専務は私をアパートの前に待たせ、近くのコインパーキングに車を停めに行った。どうやら三階建ての建物の二階にある部屋まで送ってくれるつもりらしい。
 いつもの私ならそんなこととてもじゃないがお願いできない。しかし今日にそんな専務の行動が嬉しくて、断るなんてできなかった。
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