ミツバチのアンモラル
女の人の指先は、会話をしながら下へと滑っていき、それはいずれ、圭くんの喉仏を通って心臓の上に行き着く。詰るように、ぐっと押し込められた指先は、圭くんの服に沈んでいった。
ちりちり。
血流が塞き止められたように苦しい。上手く息が出来ない。
「別にいいじゃない。結婚せがんでいるわけでもないんだし。――圭がしたいのならすぐにでも届け出てあげるけど?」
「朱美さんとはないですよ。一応、僕にだって良心はあるんですから」
「あら綺麗事。他の女の子は取っ替え引っ替えして弄んでいるくせに。それとも、わたしは特別ってこと?」
「特別ではないですね」
「知ってるわよ。靡いてくれない理由なんて」
「覚えているのなら、何度も言わせないないで下さい」
「それでも訊いてしまうものよ。だって、いつ考えが変わっているかもしれないじゃない?」
色香漂う誠実でない会話をずっと盗み聞きながら、圭くんはこの女の人と付き合う気はないようで、とまっていた呼吸を静かに再開出来たりもする。
けれども止まないのだ。
ちりちり。ちりちり。
夜の闇に紛れて、続く光景に目を奪われ続ける。
「わたしはひとつも似ていないものね」
女の人の、今日聞いた会話だけでは理解し難い言葉に圭くんは頷いた。
「……」
「華乃ちゃんに」
っ!?
「……」
「耳のかたち、爪のひとつでも似ていたら、良かったのかしら」
「……」
「冗談よ。仕方ないから今日は帰ってあげる」
突然降って湧いた自分の名前に動揺して、私は会話を終了させ歩いてくる人をかわせなかった。
「華乃。大丈夫か?」
隣にいた智也が静かに訊いてくる。
「う、ん……なんか、頭痛くて」
「ちょっ、大丈夫かよ。顔色も悪いぞ」
その場で立ち竦んでいたこちらに気づいた女の人は、挙動不審な私を一度視界に入れ、そして私を心配する智也の姿を確認すると素通りするのをやめて立ち止まった。