ミツバチのアンモラル
 
 
「――あら、智也くん」


「おひさしぶりです。朱美さん」


「久しぶりね」


頭上では智也と女の人が挨拶を交わしていた。知り合いだからこちらに向かってきていたのだ。圭くんの知り合いならそれもそうか。


「せっかくなんですけど、ちょっとこいつ送ってくところなんでまた。――華乃、大丈夫か? 行くぞ」


あんな会話を盗み聞いてしまいこの場から消えてしまいたい私を、智也はそうしようとしてくれていて、なんだか急に頭痛もしだしてしまった私は、それに甘えることにした。
圭くんが、目の前にいるのに。
いつもなら、駆け寄って抱きしめてもらって。そうすれば頭痛だって消えてしまうのではないかと思えるほどに幸せなのに。


……なんでだろう。
ちりちりと私の内側が痛むほどに、それが出来なくなっていく。


そんなとき、細い、息を飲む音が近くで鳴った。


「……この子が、華乃ちゃん……」


智也が呼んだ私の名前に驚いて息を飲んだのは、朱美さんという女の人。目を合わせたくなくて、深く頭を下げた。けれど、つむじあたりに刺さる視線を感じ、とても興味を持たれているのだと膝が震える。


……きっと、同じ名前なだけなのに。


「華乃っ!!」


居心地の悪い中、圭くんの声が静かな夜の住宅街に響いた。
大きな声で私の名前を呼ぶ。それは怒っているようにも聴こえ……。圭くんのそんな様子は、そういえば久しぶりだ。昔は、幼い頃は、度を越した悪戯に怒られたことも一度だけあったりもしたけれど。


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