偽りのフィアンセ
──数十分前。
足早に一際目立つビルの中に入った俺に、受付嬢二人がチラリと視線を向けてきたが、直ぐにその視線は外された。
そのまま素通りして行く俺の背後でヒソヒソと何かを話している声が聞こえたが、今はそんなことなど、どうでもよかった。
左手に持つ雑誌を握りしめ、俺は目的の……あの人の元へと急いだ。
最上階で止まったエレベーターから下りると、広い通路の窓際に、外を眺めながら秘書の女性と談笑しているカナメさんがいた。そして直ぐにその視線がこちらに向けられる。
「あれ、ジンくん。珍しいね、キミが此処に来るなんて」
カナメさんは微かに眉を上げ、柔らかく微笑んだ。
その言葉とは裏腹に全く驚いている様子はない。
父親の中学の後輩らしいカナメさん。
優しく微笑む彼は、男の俺から見ても魅力的な人だ。
十代の頃に、モデルをやっていた俺よりも更に長身で、目鼻立ちがはっきりとしている男前だ。
歳は父親と対して変わらないはずなのに、爽やかな雰囲気と張りのある肌、適度に鍛えられた体つきから、 四十手前の男性には見えない。
だけど、何となくその柔らかい雰囲気の下に、別の顔を隠している気がするからなのか……自分がそうだからあの人にもそれを見透かされている気分になるからなのか。カナメさんの前では笑顔を上手くつくれない。
偽ることで自分を守って来た俺にとって、それをさせてくれないカナメさんは……昔から苦手な存在だった。