H ~ache~
環は、帳簿とデータを照合させながら一致しない箇所を調べる作業に没頭していた。

没頭していた為に、その場に本部の人間がいるのを忘れて眼鏡を外した。

「…」

ある理由で普段は度数の入っていない眼鏡をかけている環だったが、仕事に集中すると視界の隅にチラチラと映りこむフレームが煩わしくなる。

一人の時は眼鏡を外し、髪を結えて仕事をする。
思わず他人の前でその仕草をしてしまっていた。

納得がいかないモノを一つ一つ調べていく際に、下唇を軽く噛む癖も男に見られていることにも気づいていなかった。

”合った…”

声には出さずにつぶやくと、不明な箇所を解決させデータを照合し終え、ぬるくなったコーヒーを口に運んだ。

「面白い女だな」

弾かれるように顔を上ると、自分を見ていた男と目が合った。

(!?…本部の人がいるのを忘れてた!)

慌てて眼鏡をかけようと思ったが、もう遅い。と諦め、眼鏡をスーツのポケットに入れて男を見ると、彼は席を立ち環の横に座り、ジッと顔を見つめた。

「それは伊達か?」

「…ハイ」

唐突に長い指で環の顎に手をかけ、自分に向けさせると目を細めて口角を上げてニヤリと笑った。

「何故眼鏡をかける必要がある?」

フイ。と顔を反らそうとしたが、男はそれを許さずに答えを促した。

「答えろ」

「目立ちたくないから…」

答えなくても良い筈なのに男の威圧感に押されて素直に答えてしまっていた。

「そうか…やはり面白い女だ」

(面白い?…この人は何を何を言うの)

顎を掴んでいた手を離すと、その手で環の頬を撫でた。

滑らかな感触を楽しんだ男は環の胸ポケットから眼鏡を取り出して自分の胸ポケットに入れた。

「返して下さい」

「次にあったら返してやる。…まだかかるのか?」

「いえ、もうすぐ終わります。あとは社に持ち込んで処理をします…」

書類を整理しながら言うと、男は「送る」と言い出し、環は焦りながらその申し出を丁重に断った。

(こんなに迫力のある美貌の人に送られたら平常心でいられないと思う。なにより本部の人は怖いって聞いたし…)

「この時間で馬鹿な事を言うな」

「ちょっと、待って下さい!」

環の鞄を持った男は、部屋を出ようとし、環は慌てて追いかけた。

< 8 / 30 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop