愛し君に花の名を捧ぐ
 リーリュアは頬に触れる苑輝の手に自分のそれを重ねる。まるで違う大きさなのに、対のようにしっとりと吸いた。

「それにわたくしの手も、陛下が思われるほど清らかなものではありません」

 まだ涙に濡れる瞳にいたずらな光が宿る。いままで彼女に感じたものとはまた別のなにかが、苑輝の心を震わせた。

「子どものころ、葆に嫁ぐ予定だった姉さまの婚礼衣装に山葡萄の汁をつけてしまったのです」

 神妙に始めたリーリュアの話に、苑輝は真剣に耳を傾ける。

「父も母も、姉本人でさえも、姉が遠くへ行ってしまうことを、わたくしが寂しがってしたのだろうと許してくれました。でも、違うのです」

「どういうことだ?」

「わたくし、嫉妬していました。綺麗な花嫁衣装を着て苑輝様の妻となる姉さまに」

 あまりにも可愛らしい罪の告白に、硬かった苑輝の表情もようやくほころびをみせる。リーリュアの手をとり、薄紅の爪が彩る白く細い指に唇を押し当てた。
 驚いた彼女が引こうとする指先を掴んで、舌先でひと舐めする。

「たしかに甘酸っぱいな。これが証拠か」

「そんなはずは……」

 大きな目を白黒させているリーリュアの手に、もう一度口づけしてから離す。

「姉上には詫びとして極上の絹を届けさせよう。それから西姫には最上の婚礼衣装を」

 リーリュアの眼が、最大限まで見開かれた。瞬きも、呼吸さえも忘れて苑輝を見つめる。

「長い間待たせてすまなかった。西姫に、私の后となって欲しい」

 瞳が大きく揺れ、高鳴る胸を重ねた手で押さえるリーリュアの口が動く。

「……嫌、です」

 まさかの返事に呼吸が止まった。苑輝はおろおろと意味も無く手を上げ下げする。

 リーリュアは先ほども見せたいたずらな瞳を向け、唇をツンと尖らせた。

「西姫では嫌です。せめて苑輝様だけは、リーリュアと名前で呼んでください」

 皇宮の者たちがリーリュアのことを名で呼ばないのには、それなりの理由がある。
 後宮では多くの妃嬪たちが位の頭に姓をつけて呼ばれる。リーリュアの場合は異国人のため『西』の字がつけられた、というのは建前だ。実のところ、その名の発音が葆の人間には難しいという現実的な問題があったのだ。


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