愛し君に花の名を捧ぐ
「紅珠! 大丈夫?」

 まだ倒れたままの侍女を助け起こそうと、リーリュアは輿から降りて近寄った。

『姫様! そいつに近づいちゃいけない!!』

 紅珠の傍らに膝をついたリーリュアは、再び叫んだキールに気を取られる。

「どういうこと?」

 理由がわからず目を離したため、紅珠が腕を伸ばして地面からなにかを拾ったのには気がつかない。次の瞬間には、ぐっと腕を掴まれていた。

「西妃様、申し訳ありません」

 耳元でした小声の意味を問う前に、さらに腕が引かれて身体が傾ぐ。紅珠が翳した右手の指先で小さな針が光った。

 その先端が自分の肌に埋まるのを予測し、リーリュアは思わず目を瞑って身構える。だがほんの僅かな痛みさえ襲っては来ず、逆に強く掴まれていた腕が自由になった。

 不審に思い瞼を上げてみれば、紅珠の右手首を吊り下げるようにして掴む、苑輝の姿がある。

 リーリュアが知っている中で一番に険しい面持ちの苑輝が少し手に力を加えると、ふるふると震えていた紅珠の指先から針が落ちた。石の上で目を凝らしても、どこにあるのかよくわからないほど細く小さな針。それを苑輝は沓で踏む。

「毒針か」

 苦々しげに問う。自由になる左手で自分の胸元を押さえた紅珠は、とっくに力なく項垂れていた頭を小さく動かし肯定した。

「どう……して?」

 からからの喉から出たはずなのにリーリュアは涙声になる。口数は少なくいつもなにかに怯えるようにおどおどとしていたが、リーリュアによく仕えてくれていたはずだった。熱で倒れたときも、親身になって看病してくれた。
「どうして? それはこちらが伺いたいです。どうして西妃様はあの国の姫なのですか!? 私の父と兄を殺した、あの西の国の……」

 目を見開いたリーリュアは息を呑む。突き付けられた事実の衝撃で、その場にへたり込んだリーリュアに向けられた紅珠の瞳は、憎しみよりも哀しみの色が濃い。

「あなた様がこの国の方でしたら、立后を心からお祝い申し上げることができましたのに……」

 紅珠の目から一筋の涙が頬を伝い、悶え苦しみ始める。

「……紅珠?」

 苑輝が慌てて紅珠の胸から手を退けさせるが、衿に仕込んであった針が彼女の肌に深く埋まっており、針先に塗布された毒はすでに全身を冒していた。

 苑輝は痙攣が始まった紅珠を放り出し、リーリュアの頭を抱え込んで彼女の視界を塞ぐ。リーリュアは苑輝の胸元を両手で掴みさらに堅く目を閉じていたが、動悸は激しくなる一方で。

 紅珠が事切れるより先に意識を手放してしまっていた。

< 76 / 86 >

この作品をシェア

pagetop