そろそろ恋する準備を(短編集)
人生で一番深いため息を吐きかけた、とき。
主人公の恋人が化け物に食べられ、今までで一番グロテスクな映像が映し出される。
驚いて吐きかけた息が一瞬止まり、吐いた息は悲鳴に変わっていた。そして「ぎゃあっ!」という可愛げのない悲鳴と共に、朝比奈先輩の身体に腕を巻き付けた。
「はるちゃん大丈夫?」
「……大丈夫じゃないです」
声が震えていて、それにすらも驚いた。
いつの間にかソファーに押し倒されていたことにはさらに驚いた。
腕を先輩の身体に回したままだったから、押し倒されたことによって頬も胸もお腹も足も、ぴったりくっついている。
「はるちゃん、心臓の音、凄いよ」
「そっ、それは、怖いシーンを見たからで……」
鼓動が速いのは映画のせいであって、決してこの状況にどきどきしているからではない。朝比奈先輩の胸板が予想以上に厚かったからでも、胸がぴったり合っているせいで先輩の呼吸が直に伝わってくるからというわけでもない。
「……キスのひとつでも、しとく?」
「しません!」
「ほんとに?」
「ほんとに!」
「この状況なのに?」
「どんな状況でもしません!」
朝比奈先輩はくすくす笑いながら、少しだけ身体を離す。
先輩の顔が鼻先数センチのところにあるせいで、息が頬に当たってくすぐったい。