あの日、あの桜の下で



音楽を聴いていた友達から声をかけられて、彼が私の目の前を通り過ぎて行く。それから、彼はイヤホンで歌を聴くと、その歌詞を流暢な英語で再現し、さらに適切な日本語に訳してあげている。それでも、彼はそんな能力を鼻にかけることはなく、いつも楽しそうに友達と笑い合っていた。

そんなふうに、時折廊下ですれ違う時、グラウンドで体育をしている彼を見かけた時。彼の日常に触れる度に私の胸はドキドキと高鳴ったけれど、それだけでは想いは伝わらない。


彼に少しでも近い存在になりたくて、一生懸命勉強したし、自分を磨くために毎日いろんなことに努力した。
時間が経つとともに、私の想いは募っていったけれども、どんなに頑張っても接点のない彼とは挨拶さえも交わすことができず、彼はやっぱり遠い人のままだった。

その現実を思い知らされるたびに、唯一言葉を交わせたあの春の出来事を思い出す――。

そしてそれは、私の心の中でキラキラと輝きを放つ大事な大事な宝物になっていった。



一年が経った頃、桜が零れ落ちそうなほど咲き乱れている日のことだった。
その桜に誘われるように、宝物になっているあの日を思い出しながら、私は土手道の桜並木までやって来てみた。……なんとなく、彼がそこにいるような気がして……。


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