金木犀の季節に
「奏汰さん」
「なに?」
「ありがとう。月並みかもしれないけれど私と出会ってくれて」
不意に抱きしめられて、奏汰さんが近くなる。
「俺の方こそ、ありがとうね」
しかしそれは一瞬のことで、彼が言い終えた頃には、離れていた。
「そろそろ帰ろうか」
遠くに見える江ノ島の灯台が灯り始めて、奏汰さんは言った。
「うん」
「気を付けて帰ってね」
「ありがとう」
「それじゃ、また明日」
「また明日」と、言えるのは今日で最後だ。
お互いに手を振る仕草は、合わせ鏡のようで。
やがて見えなくなっていく彼の姿のその先を眺めたら、烏帽子岩の背景の紺色の空に、星が見えた。
ボタンを開けたブレザーを揺らした風は、潮臭かった。
そんな何気ない出来事にさえ、時間の流れを感じずにはいられなかった。