意地悪な彼の溺愛パラドックス
「柏木さん、その手はなんですか」
「はっ! 俺としたことがっ」
私はやれやれと肩をすくめる。
それは彼が毛先で遊べないように三つ編みにしてしまおうと、ふたつに分けて片方を編み出すうちのこと。
早々に奴は私のもう片方の髪を指先に絡めて、くるくると楽しそうにしていた。
どさくさに紛れて遊び始めた彼の不穏な動きに、もしかすると器用な確信犯なのかもしれないという疑惑が浮上する。
にんまりとした唇を捻じ曲げてやろうと、私は毒をついた。
「さすが変態上司。説得力ないですよね」
「ヒドイこと言うなよ。俺の生きがいなのに」
「こんなこと生きがいにしないでください」
「わかんないのか? やわらかく繊細に流れる奥ゆかしさと、凛と牽制するかのような強かさが共存する神秘だろ」
熱を込めて力説する彼に、天井から降りそそぐ安い蛍光灯がまるで神々しい光を放つ。
私は右頬をヒクッと引きつらせ、すぐにブルブルと首を振った。
「意味わかんないです」
本当に意味はわからない。
わからないけれど、彼が気に入っているのなら、しっとりとふんわりの相まった指通りの心地いいシャンプーとトリートメントを模索する私の虚しい日々は報われる。
「つまり、俺は遺伝子レベルで求めているってこと」
「つまり、あなたはただの変態なんですね」
「なんとでも言ってくれ。俺を落とした責任は取れよ」
「そんな覚えありません!」
(お前こそ、私を落とした責任を取れ!)
と、喉まで出かけてのみ込み、私がもっとも嫉妬する相手が自分の髪だと思い知る。
けれども、それだけでもいいから求められたくて、心も体も雁字搦めだった。
彼は私のうしろに陣取ったまま、抱き込むように鏡の隣に左手をつく。
相変わらず右手は私にあるのだが、寄りかかるにしてももう少し考えてほしい。
壁と彼に挟まれた私は恥ずかしすぎて泣きそうだ。
「お前ってホント、癖になる」
「バカ! セクハラ!」
耳もとで誤解を招くようなことをささやかれ、心臓の音が身体中にドキドキと反響する私の脳内はパニック。
ちらりと左に視線を向ければ、彼の抑圧を見ることができて、前を向けば長い指先で円を描き私をもてあそぶ彼を、鏡越しに見ることができて。
溺れてしまいそうで耐えられず、奇声とともに背後めがけてがむしゃらに肘を振りかざした。
「だりゃー」
「うおっ!?」
間一髪で避けた彼は同時に私への抑圧を解く。
すかさず私は事務所の隅を指差した。
「すぐに縛っちゃうので、そっちでおとなしく待っててください」
新鮮な空気を取り込み深呼吸した私は、彼に制止をかけて髪を編み始める。
わずかに震える自分の指がぎこちなくて苛立っていると「待ってて」と言ったのに、彼はまた私の髪を掬った。
しかし今度は、それを三つの束に分け器用に交差させていく。
やがて毛先を五センチほど残したところで「はい」と渡してきた。
彼が作った綺麗な三つ編みをそのままヘアゴムで止め、鏡に映す。
なんだかくすぐったくて、ほんのりあたたかかった。
私は上がりそうになる口角を抑えて、出来栄えを見せるために振り向いたのだが、彼は一瞬眉を上げただけ。
何食わぬ顔で私に背を向けて、机の上に置かれた資料やらポップ広告やらを整理している。
さんざん横槍を入れておいて、彼はひとり仕事モードに切り替えていた。
「よし。いい加減に仕事するか」
「……そうですね」
この気持ちをいったいどう消化したらいいというのか。
私は頬を膨らませ、身勝手な奴の背中を思いっきり睨みつける。
何度その背中に好きだと叫んだだろう。
しなやかな指先に透かれ抱いた恋の色は、ダスティーピンクに焦がされていくばかり。
髪への溺愛はトラップか。
不埒な上司とおかしな攻防戦は続く。
憎らしいほど、あなたが好きだ。
「バカ」
聞こえないようにそっと。
「好き」の代わりに、つぶやいた。
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