意地悪な彼の溺愛パラドックス
夜空が輝く十九時三十分。
冷えた空気に身を縮め、一行はゾロゾロと沿線の居酒屋へ。
移動前にメイクを少し直してきたのだが、来るまでにまた風が意地悪をして髪がルージュにへばりついた。
ファンデーションでおさえた肌も、冬の乾燥に脅かされている。
着いてすぐにストールとコートをハンガーにかけ、コンパクトミラーを出してサッと化粧崩れをチェックした。
そのとき、バッグの中で目を引いたのは冷えた缶コーヒー。
手を温めただけのそれは、家に帰ってからのお楽しみ。
たとえ苦手なものでも、彼からの苦い恋の味ならば少しくらい味わうのは悪くない。
私はなるべく密やかに頬を緩めながら、そそくさと出入口に一番近くて彼と最も遠い席についた。
ほどなくして花めく座敷の一室で、十個のジョッキがガチガチと合唱する。
「かんぱーい!」
柏木遼と愉快な仲間たちの集いが陽気に始まった。
このエリアの店長は四十歳代の男性が多く、女性は私を含めてもふたりだけ。
親睦会に初めて参加したときは不安だったが、みんないい人ばかり。
新米の私を快く迎えてくれて、いろいろとアドバイスしてくれた。
「馬場ちゃん、シフトはうまく組んだんでしょ?」
「もちろん。休むに決まってるじゃないですか」
「だよね!」
今朝、愚痴を聞いてほしいと言っていた先輩は、ジョッキを片手に待っていましたとばかりに、いそいそとやってきて私の左側に腰を下ろす。
さっそくスタンバイオーケーな模様で、先輩の口癖の「だよね!」にはすでに熱が込もっている。
私は笑いをこらえながら肩をすくめた。
だいたいの店長は、今日の出張を理由に明日は休むはず。
しかし彼はどうなのだろう。
チラッと上座へ視線を送ると、なかなかの飲み振りで喉を鳴らしているようだった。
いつもより緩めたネクタイと開けた襟もとにドキリと目を瞬き、瞳だけぐるりと放物線を描く。
思わず自分のブラウスの襟もとを押さえて整えていると、右隣に座っていた先輩にお品書きを渡された。
「馬場さん、追加注文お願いしてくれる?」
「ほーい」
私はゴクゴクと生ビールを飲み干し、みんなから受けたオーダーを頼む。
「生とハイボール三つずつ、牛スジ、馬刺し、大根サラダ。あ、ファジーネーブルもお願いします」
私の場合、乾杯の一杯を飲んだ後はカクテルとホット烏龍茶で繋ぐコース。
なぜなら酔うと凄まじい睡魔に襲われるから。
寝てしまうだけだから多分害はないと思うのだけれど、職場の飲み会で泥酔したり爆睡したりはしたくない。
目の前の皿に並ぶナンコツやツクネ串を頬張りながら、お客様やスタッフの鬱憤を漏らし続ける先輩に耳を傾けた。
「最近、柏木くんに怒られてばっかりなんだよね」
話半分に黙々と口を動かしていたが〝柏木〟のフレーズが出た途端に、私はゴクリと飲み込み息をつめる。
反対に隣ではため息をついていた。
「もともと厳しいこと言うから、あんまり好きじゃないし」
「……そうなんですか?」
「年下に容赦なく粗を責められたらイラッとくるよ? 柏木くんは本部の人間だしね、お高く止まってるんでしょ」
先輩の言うことは愚痴を通り越していて癪にさわったが、同時に悲しくもあった。
こんな悪口を言われるようなこと、彼はしないから。
「たしかに厳しいけど、それは私たちのためであって意地悪ではないと思います」
迷いない私の口調にゴクンと口の中の物を飲み込んだ後、思いあたる節があるのか、顎に手をあてて「うーん」と空を見た先輩は渋々といった感じにうなずく。
「まぁ、そうなんだけどねぇ」
「先輩なら伝わるって、信用しているから言えるんじゃないかな」
彼が理不尽に小言を言うような人ではないことは、私が身に染みて知っている。