意地悪な彼の溺愛パラドックス
そんな中、髪フェチ男は欲求不満だったらしく、近づいたときに揺れた私の横髪をそれとなく掬い上げ、二本の指先でクイと引っ張る。
「つーか、なんで今日は髪まとめてんだよ」
「そんなの私の自由じゃないですか」
「触れないだろ。配慮してくれよ」
「なに勝手言ってるんです? こんなところで変態晒すつもりですか?」
「俺がそんなヘマすると思うか?」
私は少し考えるが、奴がヘマをするとは到底思えなかった。
猫かぶりの彼の正体を見抜いたとか、うっかりネタバレしちゃったとか、そんな噂話は私の知る限りでは皆無。
片方の口角をわざとらしく上げて、見下ろすように鼻で笑う彼の態度に腹が立つ。
どうだコラ、正直に言ってみろよ? と顔に書いてあるのがわかって、私はギリッと奥歯をこすり合わせ言った。
「……だから悔しいんですけどね!」
地団駄する代わりに、握りしめた右手をダダンッとテーブルに打ちつけると、小皿の中の醤油に波紋が広がった。
彼は他に触れそうなポイントを探しているのだろうか、なにか唸りながら私を観察しているので、頬を膨らまし不愉快を表現する。
彼が私に求めるのは、極上の触り心地だけ。
私のように普段と違ったヘアスタイルにトキメキを感じたりはしない。
そう思うと虚しくて、盛大なため息とともにガクッと肩を落とした。
「もうモツ煮込みあげない」
「ちょっと待て」
私が器の奪取に手を伸ばすと、慌てた彼が手首をつかむ。
思うよりも味が染みていてなかなか癖になる歯ごたえは、彼も私も所望するところで、負けまいと水面下で火花を散らした。
「遼とかよつんって仲いいね。付き合ってるの?」
不意に彼のいる右隣とは反対の左隣に気配を感じ、放たれた言葉に取り乱す。
それはよく聞く軽やかな声色で、私は躊躇いもなく無条件に全力否定をした。
「ちがっ、柏木さんがコリコリ取るの!」
「ふーん?」
「本当だよ! このモツ煮込みおいしいんだから」
私は箸を取りひとつつまみ、突然現れた不信感漂う目つきの人物に見せる。
右手に生ビール、左手にネギマをセットして、変わらず「ふーん」と疑惑の眼差しを向けられた。
「俺もコリコリほしいな。かよつんちょうだい」
そう言うと同時に、パクリと私のつまむモツにかぶりつく。
驚いて身体を引くとその元凶がフェードインして、ここにいるという不可思議な状況に私はやっと疑問を投げた。
「や、待って! なんで大和くんがいるの!?」
突然現れたのは空笑いしながら去った先輩ではなく、本来はこの場にいるはずのない大和くん。
混乱して頭を抱える私に、大和くんは屈託のない笑顔を見せる。
「かよつんが遼に襲われないか心配で」
「いやいや、逆だろ」
首を横に振り、いらないことを言った彼を睨みつけ黙らせると、大和くんはそんな私たちを見てクスクス笑いながら、いきさつを話し始めた。
「前に勤めていた店の店長から連絡もらったんだよ。嫁の了解を得たので、ウッキウキで参った次第です」
バチンとウインクを投げる仕草も似合ってしまう明朗な大和くんは、たしか二年前に結婚していて妻子あり。
普段家庭のことを話したりはしないから詳しくは知らないけれど、子供もひとりいたはず。
大和くんみたいな人がパパなら、きっと笑顔いっぱいの家庭だろう。
幸せな家族像を思い描いていると、今度はその笑顔を柏木遼にピンポイントで向けてにんまりとした。
「まず柏木マネージャー様にご挨拶しようと思ったんだけどさ、いい雰囲気だから酒のつまみにして見学してたんだよね」
語尾に音符でもつきそうなくらい弾んだフレーズに私は喉を詰まらせ、右側の彼は「悪趣味だな」と眉をひそめる。
大和くんはあからさまに嫌そうな顔をした彼をおもしろそうに眺めながら、ゴクゴクと生ビールを飲みネギマを頬張ると、空になった串を皿に投げて言った。
「ま、俺いろんなとこ手伝い行ってるから顔馴染み多いし。みんなもウェルカムな感じなんで、勝手に楽しんでまーす」
「そっかぁ。こんなことなら明日は大和くんも休みにすればよかったね」
たまの息抜きなのかもしれないし楽しんでもらいたいと思いつつ、組んだシフト表を思い出し私は眉尻を下げた。
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