意地悪な彼の溺愛パラドックス

それは三月の終わり。
柏木マネージャーと最後の打ち合わせを終え、居合わせた大和くんと三人で他愛ない会話の中、別れを惜しんでいたとき。
大和くんは発狂した。
「事務所でイチャイチャできなくなるじゃん!」
「してないから!」
たてまえだけれど、一応否定はする。
ところが当事者は他人事のように、私に疑いの眼差しを送ってきた。
「怪しいな」
「遼くん!」
その眼差しに睨みを利かせると、彼は右上に視線を逃がす。
隣にいた大和くんは、突然「そうだ!」と、なにかひらめきパチンと指を鳴らした。
「遼とかよつん、一緒に住めばいいじゃん!」
「大和くん!? なにを……」
「かよつんだって新マネとうまくやっていけるか不安でしょ?」
「それはそうだけど、だからって」
「タイミングは大事だよ。公私ともに支え合ったらどう?」
頬を染めて尻込みするも、そういった進展にワクワクしないわけではないので、少々恥ずかしいが相手を見る。
けれども彼は知らんふりして黙ったままで、特別乗り気でもなさそうな微妙な態度。
そんな彼の肩を組んで、大和くんは説得するように微笑んだ。
「な? 遼もいい年なんだしさ」
「やだよ」
(……え)
大和くんを振り払い牽制した彼に思考が止まる。
彼自信も一瞬そうだったようで、すぐにどうにか繕おうと焦る雰囲気が伝わった。
「バカヨはもう大丈夫。ちゃんと店長できてるよ」
「……はい」
いくらバカだって、無理やりごまかしたのはわかる。
論点はそっちじゃないって、わかっているはずだ。
思えば移動を告げたときの彼もアッサリしていて、私はその程度なのかと暗然とする。
うやむやにされてモヤモヤするも、踏み込み切れないもどかしい時期なわけで、私自身も流してしまうしかまだ術はなかった。
たしかにまだ始まったばかりの関係。
焦ることなんてないと思う。思うけれど。
未来を、否定された気がした。
そんな私の心中を察したのかどうか定かではないが、大和くんは苛ついたような、低い声を彼に叩きつける。
「中途半端やってんじゃねーよ」
「大和が口を出すことじゃないだろ」
「情けない遼ちゃんが、捨てられないか心配してるんだよ」
「お前に心配される筋合いはない」
目を逸らしながらも怯まない彼が言い返すと、ふたりとも喧嘩腰なのは明白。
大和くんは乱暴に彼の肩をつかんで視界に入った。
「遼、いつまで怖じけづいてんの?」
「いい加減にしろよな」
幼馴染ということもあって飾らない彼は引かなそうだし、とにかく温厚な大和くんがこんなふうに目角を立てるのは珍しいし、だからこそ怖い。
あぁ、それを取り成すことができるのが里央さんなのかと、呑気に納得している場合でもないのだが。
満を持してふたりの対立する間に、腕時計をぐいと突っ込む。
「大和くん! 仕事の時間だよ」
「……あ、了解。ごめん」
我を取り戻した大和くんは、もう一度「ごめん」と、私の頭をなでてからドアノブを握った。
「触んな。お節介ヤロー」
ガチャリとノブを回したところで、その背中に不機嫌そうに彼が言い放つ。
また波乱を呼びそうな気配にゾッとするも、大和くんが聞き流して出ていってくれたので、私はひとまず安堵して深いため息をついた。
ふたりきりになった事務所の空気はすこぶる気まずい。
チラッと盗み見た彼は、思いつめたような複雑な表情で黙り込んでいる。
個人的には、同棲を即答で却下されたショックで泣きたいのだが、そんな彼を見ては空元気を装うしかなかった。
「もうっ、大和くんらしくないですね! 突然どうしたんだろ? アハハ、ハ……。えーと」
なんでもいいので、リアクションしてほしい。
引きつった笑顔で硬直していると、大和くんのなでたところを彼がグリグリとかき回す。
「うわっ!? 髪がぐちゃぐちゃになっちゃう!」
「自信がない」
「えっ? なんですか?」
ボソッと吐いた彼の声は聞き取りづらくて、確信が持てない。私は乱れた髪を整えながら聞き直した。
「遼くん? 今なんて言ったんですか?」
「会いたいときは、地縛霊する前に連絡してね」
「なっ!」
前科を思い出し、赤面して下唇を噛む。
自分から頼れと言ったくせに、だったら鍵でもよこせと言ってやりたい。
いつものようにポンポンと軽く頭を叩く彼のエールに苛立ちを覚えるが、物やわらかなそれは元気づけるときとは違って、精いっぱいの〝ごめん〟が込められているようで、とても責められなかった。
気落ちしてフッと力を抜いた私が、ぼんやりと見つめる先の少し伸びた前髪は、彼を隠し曖昧なものにする。
謎めく彼のシークレットを見透かせまいかと食い入っていると、不意にワンサイドヘアを留めていたバレッタのパチンと弾ける音とともに、彼は私の長い髪を解放した。
ピクッと反応したときにはもう、掬い上げた髪先に微笑みを寄せる。
「いい香り」
そうつぶやいた彼の艶やかな唇と温かな指先が、しなやかに私をすいていくと、逆らう気持ちなんて魔法にかかったように解けてしまう。
身体の芯が熱くなり、視線を泳がせた先の鏡に映る自分から目を逸らしてギュッと閉じた。
「事務所で最後のイチャイチャする?」
耳もとでささやく彼の迫る表情は、意地悪と優しさのシンパシー。
今日は、なんだか愛しさがまぶしい。
彼に届かない気持ちの寂しさを埋めたくて、詰め寄れない隔たりに少しでも近づけたらと、彼を求めた。
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