明治恋綴
馬車に揺られながら綴はまた惟隆の遺言状を見つめていた。何度読んでも理解できない文面に綴は眉を寄せた。
なんで爺さんはこんなことを書いた。現当主で自分の息子である親父じゃなくて、何故俺を護衛させるようにしているのか。そもそもこの狗狼衆はなんだ?どんな経緯で爺さんはこの組織を知った?
様々な疑問が浮かんでは消え、綴はさらに深く眉を寄せた。そんな綴の様子に男は苦笑した。
「そう深く考えても仕方ありません。家のことや事業のことがひと段落してからまた考えてはいかがでしょう」
付き人の男の言葉に綴は「…そうだな」と答え、遺言状を懐にしまった。
「これからの予定は?」
「はい、まず初めに浅草支店に総裁の葬式の報告、次は織川様との会食。そして…」
綴の問いに付き人の男は鞄から手帳を取り出し、予定を確認する。次のページを捲ろうとしたが

ドゴッ!!

「っ、なんだ!」
突然の衝撃が車体を襲い、二人とも体勢を大きく崩す。それと共に馬車も急停止した。外から馬の悲痛な鳴き声が聞こえてくる。
「な、なんだお前っ…がはっ!」
外から続けて車夫の叫び声が聞こえ、その直後、綴は車夫が白目を剝きながら運転席から転げ落ちるのが見えた。
何者かに襲撃されている。
そう確信した綴は立ち上がり扉を開けようとしたが、綴よりも先に体勢を整えていた付き人の男が綴の肩を強く掴んだ。
「狙われているのはあなたです。私が安全を確保してから出てきて下さい」
付き人の男はそう強く言うと自身の腰に付いている拳銃に手を伸ばしながら、馬車の扉に手をかけようとする。
「待て、やめろ!」
綴の制止を無視し、付き人の男は扉の取っ手に手をかける。が、それよりも先に扉が開いた。

「_____え」

綴の目の前を、鮮血が飛び散った。付き人の男は、真正面から喉に刃を突き立てられていた。付き人の男は勢いよく刃を引き抜かれた後、綴に背を向けたまま倒れこんできた。綴は咄嗟に付き人の男を支え、顔を見た。
「っ…!」
付き人の男は目を見開いたまま固まっていた。それなのに、口と喉からは血が溢れて止めどなく流れている。それに気づいた綴は自分のシャツを引き裂こうとベストを脱ごうとしたが、その前に付き人の男は外に放り投げ出された。綴は咄嗟に顔を上げ、付き人の男に手を伸ばしたが、なにかが綴に飛びついてきた。
それは綴を車体の床に激しく叩きつけると、馬乗りのまま喉を締め上げてきた。いきなり来た息苦しさに綴はすぐに喉を詰まらせそうになる。薄くなる視界でなんとか襲撃者の顔を見る。
赤い目と目があった。深く被った布の隙間から見えるそれは、先ほどの鮮血と似ていた。
喉を締め上げる力は徐々に強くなっていき、綴の息苦しさも増してくる。
脳内が白く染まっていく。襲撃者の手首を掴んでいた綴の手の力も徐々に弱くなっていく。

意識を手放そうとした、その時。

上からの激しい破壊音と共に、綴を襲っていたものが目の前から消えた。
「っはぁっ!はぁっ!」
綴は思い切り息を吸い込み、自分の気道を確保する。喉元に手を伸ばしながら、上体を起こすと目の前に何かが降りてきた。それは立ち上がると、ゆっくり綴を振り返った。

面の奥の杏子色の瞳が、綴を深く見つめた。


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