秘書と野獣
「…お前の顔エロイ。他のヤローに見せんなよ」
キュッと指で私の濡れた唇を拭いながら、そうさせた張本人は何食わぬ顔してそんなことを言う。
「猛さんが、したんじゃないですか…! っていうか、ここ、車の中…!」
「別に誰も見てねーよ。いたとしても見せつけてやりゃあいい」
「なに言ってるんですか…」
見せるなって言ったり見せつけてやるって言ったりメチャクチャだ。
…でも本当はそれが嬉しくてたまらないくせに。
真っ赤な顔で緩む顔を隠しきれない私など想定通りと言わんばかりの猛さんは、頬を撫でながら覗き込むようにして視線を合わせた。
「ただいま」
「…おかえりなさい。迎えに来てくれてありがとうございます」
彼と一緒になって驚いたことの一つ。
それはこうした節目節目の挨拶を絶対に欠かさない人だということ。しかも必ず目を合わせながら言うのが彼のこだわりで、正直、結婚するまで想像もしていなかった。
けれど、思うに彼は元々そういうことをする人ではなく、きっと私のためにやってくれているのではないかと思う。ずっと親代わりだった私が、本当は人一倍愛情に飢えていたということに彼は気付いている。そして莉緒が巣立って1人となったことで、より一層人肌恋しく思っていたことを見抜いているのだ。
だからこそ、こうすることでお前は一人なんかじゃないんだということを伝えようとしてくれているのだと思う。
彼に聞いたことはないけれど、私はそう確信していた。