どきどきするのはしかたない

「おはよう、愛徳」

後ろから声を掛けられた。

「あ、課長、おはようございます」

二課の、うちの課長だ。

「随分、釘付けになってるようだったから声を掛けようか遠慮しようか迷った。何かあったか?」

横に来た課長が、んーっと言いながらボードを見回している。

「あ、いいえ、何も」

山本課長の欄を見ていたなんて言えない。

「…あぁ、あいつか」

「え?」

コンコンと人差し指でそこを突いた。

「その内、来るよ」

「あ、はぁ」

「用でもあったのか?…どうした、聞いたら何かまずかったか?」

…。

うちの課長が何をどこまで知っているのか、当人同士がプライベートでも仲が良いのか、全く聞いた事が無いから何も言い返せない。だけど、上手く誤魔化す事が出来ず黙り込んでしまったから。考えていた事が、良い事では無いって事くらい、簡単にバレてしまうだろう。

「愛徳、ちょっと」

え?

「はい?」

「ちょっと」

「あ、はい…」


会議室に連れて来られた。

「山本から何か言われたのか?」

質問の意図が解らないからどう答えたらいいのかも解らない。
課長は課長の弱みを私から引き出そうとしているのかも知れない。社内での競争みたいなモノもあるかも知れない。

「聞かれても迂闊には言えないよな」

「え?」

「愛徳はそういうところ、ちゃんとしてると思うが。…俺が知っている事、知りたいか?」

…え?当然課長に関する事ですよね。はい、と言ったら、私は何も知らなかった事になる。
知りたくないと、いいえと言ったら、その事は、私は知っていて、もう承諾している事にもなる。
多分、重い、そんな話だ。返事はしなかったのに、課長は話し出した。

「…愛徳の事を思って言う。…いずれ…解る事だから。
正直、山本と愛徳の関係がどこまでの関係性なのか俺は知らない。あ、これは将来的にという意味でだぞ?
今から話す事は俺の独り言だから、勝手に聞いて流してくれたらいい」

…。言った事にはしたくない、しないでくれって事かな…。では、どう判断するかも、私次第…。

「山本は昔、結婚話があった。それは当然知っているよな?
長く引っ張り続けた話を、結局断った。だから愛徳は怪我をする羽目になった」

嫉妬を買ったという事だ。

「どうやら、その結婚話、また持ち上がっているようなんだ。今更、何故なんだか。…解らないよな。
まだ水面下での話だ。何故俺が知っているかは想像に任せる」

…。

「…愛徳。立場からして、俺なんかの言う事は信じられないかも知れないが、山本はそういう男だって事じゃないかな。
人は見えている部分でまずどんな人かを無意識に判断する。特に男女の始まりのきっかけはな…。勿論、そればかりでは無いが。
何か危ないところを助けてくれたとか、人の良さを感じて始まる事もある。ハプニングは特に相手を強く印象付けてしまうものだ」

……、あっ。

「何から始まっても、どういう人物なのか、冷静に見ようとしなければいつまでも見えては来ない。見えなくさせるのは恋してしまうからだ。何も知らない相手を勝手に信じてしまうからだ。
憧れがそれだ。全てを美化してしまって、恋は盲目にさせてしまう原因だ。
何でもいい方に取ってしまうって言うのかな…」

「…課長」

課長は、私が居るのに、別の人と結婚しようとしている山本課長の人となりを否定しているのだろうか。そして、そんな酷い男を、私がちゃんと見抜けていないって。
それが言いたかった事?…。私の解釈は合っているの?それとも、枝葉は切り落として、幹だけで判断したらいいの?

「今日、休んでもいいぞ?」

「…え?」

「俺が余計な事を喋り過ぎたから…。これで、口が堅いっていう信用も無くなるかなぁ」

「…有難うございました。
私が休むと事態が変わってはいけませんから。大丈夫です、仕事に支障はありません」

「愛徳は、そういうところで頭を働かせて頑張り過ぎだ。弱い癖に」

あ、…。課長、意地っ張りな強がりなところ、解っていてくれて有難うございます。
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