どきどきするのはしかたない
・今になって解った

『今夜待ってる』

あ、…。通りすがりに目立たないようにそっと置かれたファイルの中。捲ると存在を隠すように貼り付けられた付箋紙には、そう書かれていた。
解らないように直ぐに剥ぎ取り、手の中に握ったままポケットにしまった。誰にも見られなかっただろうか…ドキドキする。
…はぁ。最近ずっと忙しかったようだから。やっと会える。…嬉しい。ファイルで顔を隠すようにして思わず笑みが出た。

壁の無いフロア。付箋紙を貼った主である課長と私は、所属している課は違う。

でも、どうしてこんな危ない事、わざわざしたりして…。フフ。秘密っぽいのって、何だか異常にドキドキしてしまう。いつもみたいに携帯に連絡で良かったのに。


課長の部屋に向かう足取りは自然と早くなった。時間を潰す間がもどかしくて堪らなかった。
もう帰ってるはずだ。

ピンポン。

「来ました」

「涼葉、待ってたよ…入って」

「はい…」

課長の部屋、何度来てもドキドキする。
…、あ、…課長。
部屋に入るなり、強く抱きしめられた。
激しく唇を奪われたと思ったら抱き上げられた。

「課長」

寝室に運ばれると急くように服を脱がされた。

「ぁ…課、長…?待ってください…ぁ」

あ、こんな…どうしたんだろう、…あ、や、…恥ずかしい。

「はぁ、涼葉ごめん、待ちきれない…。暫く思うように時間が取れなくて…悪かった…」

唇が忙しなく触れる。あ、…。課長は忙しいから毎日と言っていい程、帰宅も遅い。
ううんと首を振って、上になっている課長の身体に腕を回した。急かれてる事…なんだか嬉しかった。

「…いいんです解ってるから、…はぁ。…課長…」

…好き。

「涼葉…」


課長の胸に身を預け力なく微睡んでいた。
さっきまで、今までに無いくらい熱く愛されて…。こんな事無かったから、凄く胸が高鳴って、身体の怠さとは裏腹に、高ぶったモノは中々落ち着いてくれなかった。
そんな私の様子を課長は解っていた。

「涼葉…ごめん、大丈夫か?」

胸に抱かれた頭を、手が優しく撫でた。

「…はい、大丈夫です」

はぁ、…課長、…好き。
頭にキスを落とされた。何だか凄く満たされていた…。甘えるように身体を寄せた。課長の匂い…何もかも…好き。

胸に置いていた私の手を握ると、課長は言った。

「涼葉、…終わりにしようか」

「……ぇ」

聞き間違いかと思った。えっと言った声でさえ、聞こえない程のモノだった。…終わり?…終わりって…。何が、どう、…終わり?どういう意味?
言葉を反芻して、…やっと。勢いよく起き上がり課長を見下した。

今、何て…終わりにしようって…、確かそう聞こえた気がする。…何を終わらせるっていうの?…。

「涼葉…」

課長の手が伸びてきて頬に触れそうになった。

「…終わりって…何ですか?」

「涼葉…結婚するんだ、俺」

…え?
…何、結婚、て…。
…聞き間違い?…。終わりって…別れるって事…?

「何。そんなに驚く事か?涼葉は、…初めから…そんな関係だったんだろ?…」

え?そんな関係って?…何。何…いきなり…。え?身体だけの…関係って…事…?

…課長…少し切なげな顔をしている。…何故?…。
腕を伸ばして頭を触られた。

「それ…そんなって、どういう…意味で…」

どういう意味で言ってるの…。
わなわなと身体が震えてきた。

「…こうして、…会える時に会って…、俺達は、身体の合性、悪く無かっただろ?…だから、そんな関係…、だろ?…」

あ…。露わになったままだった身体に、布団を掻くように抱いた。何を今更…今更じゃない。急に晒したままでは居られなくなった……嫌。
私達は、…身体だけの関係だって言いたいの?…。

「……そんな…違う……違う。…私は、そんなつもりじゃなかった…」

…そんなんじゃ無い。…身体だけなんて…違う。
違う、違う。そんな関係だって言うなら…したりしなかった。

「あの時……涼葉は会社で、思わずちょっとキスした時、腕を回して直ぐ抱きしめて来たじゃないか。…だから…、そういうのが良かったんだろ?………違ったのか?…。
こういう関係になった時も、何も…言わなかったじゃないか…。
俺は、涼葉さえ良かったら、結婚してからも続けたいと思ってる…涼葉、お前の事、手放したく無いんだ…」

手を引かれた。布団の上から抱きしめようとしたんだ。
その手を跳ね退けて後退った。…い、や。

「…涼葉」

「…私は…課長は私の事は好きじゃ無かったの?」

私は好き。好きだから、こうなれて嬉しかった。
初めてだ…。課長にタメ口を聞くなんて。…今更、こんな状況になって聞くなんて…。だけど、好きだと思ってくれていると私は思っていた。疑わなかった。
じゃなきゃ…こんな関係…。

「違う、涼葉…好きだ、好きなんだ。だけど、この結婚は…結婚となると別なんだ。…好きで結婚する訳でも無い。だから…涼葉…。
…涼葉は…俺の事…好きって思ってくれていたのか…」

また腕を伸ばして来た。

「嫌!」

また後ろにさがった。もうベッドの端、ギリギリだ。

「危ない、涼葉。こっちに…」

「嫌。…私、…解らなくなった…。私は課長が好きです。好きだから…だから、その上で、こんな関係になったんです。課長も…好きだと思ってくれてると思ってた。だから、こうして…私と。
でも結婚て…違ってたって事?…。課長の好きって、何…」

…解らない。…嫌じゃないから…ただ抱くだけ?

「好きだ。…だから、このまま続けたらいいだろ?…涼葉、俺は…解らなかったんだ」

解らなかった?私の気持ちが?そんな、勝手な事…、都合よく言わないで…。こんなのは、…嫌、酷い…。
激しく首を振った。

「違う…違う違う。私と…結婚は無いのに?…こんなの…。好きでつき合ってるとずっと思ってた。…思い込み?
私は最初から都合のいいだけの、つき合い?課長の好きは…そんな意味の、好きって事?」

私の気持ちは独りよがりだったって事?私は…好きじゃなきゃ、しない。

「違う。身体だけとか、都合がいいとは違う。…涼葉、好きだ。だから俺達は続けられる」
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