どきどきするのはしかたない

命に別状がある訳では無い。
痛いだけだ。
課長には留守電に簡単に連絡を入れておいた。
不意に襲われた恐怖より、今は申し訳なくて堪らなかった。


「涼葉!」

「…課長…」

こんなに早く来てくれるなんて思わなかった。
…課長、汗が流れてる。
病室には誰も居なかった。少し気が緩んで涙が滲んだ。

「…あぁ涼葉…大丈夫なのか?一体どうしたんだ、何があったんだ」

課長は私の顔に触れ、目元を拭い、首に触れ、抱きしめようとして、手を戻し、改めてゆっくり手を握った。

「ごめんなさい、課長、旅行行けなくなってしまいました」

「馬鹿…何言ってる…。そんな事はいい…。
それより、大丈夫なのか?」

頬に手が触れた。身体を少し起こそうとした。

「はい、イタタ、…痛いです。足首の捻挫と、身体を打ってしまったので打撲です。後、擦り傷。骨折は無くて、痛みがあるだけです」

起こしかけた身体を制すように戻された。

「はぁ、涼葉…。本当に大丈夫なんだな?」

また顔に手を触れた。

「はい。痛いだけです」

「…うん。はぁ、取り敢えず安心した。一体何があったんだ?…」

右手は頬に当てたまま左手は手を握った。

「ホームに居て電車を待っていたんです。そしたら、後ろから押されました。はぁ…偶然の事故かも知れません。それは何とも解りません。
でも落ちるように押されたんだと思いました。
実際、ちょっと転ぶくらいの力では無く、線路に落ちる程でしたから」

「はぁ、涼葉…、線路に落ちて怪我したって聞いて、心臓が止まりそうだった。もしホームに電車が入って来てたらと思うと、ゾッとする…」

「押した人からしたらタイミングを過ったんでしょうかね」

「涼葉…」

恐い顔で睨まれた。…今は冗談になりませんね、…ごめんなさい。

「決定的というか、…そこまででも無かったんでしょうか。ただ恐い思いをさせたかっただけでしょうか…」

考えてみたら、心当たりがあるとか無いとかというよりも、何かの脅しなのかも知れないと何だか思えて来た。…脅しといっても…思い当たるモノは無い、解らないけど。

課長は、寝ている私に腕を回し、被さるように抱きしめた。
…え、課長…。

「…こうしたら痛いか?」

「痛いです、でも…大丈夫」

抱きしめてくれて…嬉しさの方が優ります。課長の心音がドクドクと響いた。

「揉めてる人とか居ないのかって、警察官に聞かれました。恨みを買っているんじゃないかって事ですよね。
心当たりなんて…知らない間に誰かを傷つけていたとしたら、自分では解らない事ですから…。居るんじゃないかって聞かれても、ですよね」

…。

「…明日は、退院出来るのか?」

「はい、特に、頭の事ですが、何も異常が出無ければ、朝には帰れます。
明日と明後日は会社、休もうと思っています」

「そうだな。無理しない方がいい。身の回りの物は取り敢えず下着とパジャマがあればいいよな?」

「え?」

「俺の部屋に居たらいいよ。明日、俺の部屋に帰ろう」

「課長…」

「そしたら、涼葉の世話が出来る。一人では動けないだろ。
本当は涼葉の部屋の方が落ち着くのかも知れないが…。
朝、俺と一緒に帰ろう。下着とパジャマは買って帰るから」

「課長…ごめんなさい。でも嬉しいです、有難うございます」

「二課の課長には俺から事情は話しておくから。涼葉は改めて連絡しなくても大丈夫だ」

「でも、それって…」

いきなりおかしな事になりはしないだろうか。課長と私の関係性を疑われる元だ。…疑われる?

「大丈夫だ。二課の課長は頭も切れるし口も堅い。一から十まで話さなくても話は通じる男だ」

「…は、い」

…うちの課長にバレてしまうんだ。
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