その笑顔が見たい
ベンチの背中に薄い壁が一枚。
その壁の向こう側の部屋からすごい剣幕で怒っている女性の声が聞こえた。
「どうしてくれるのよ、これ、すごく高かったのよ」
若い女性の声のようだった。
「クリーニング代をお支払いします。もし落ちなかったら弁償しますので」
怯えたような声が泣き声にも聞こえた。
「はぁ?何言ってんの?これ、国内で買ってないんですけどぉ。パリまで行って買ってきてくれるってこと?」
外に聞こえないと思って怒号をあげているのか、全く声のトーンを下げない。
何事かと通り過ぎる人は怪訝な顔をしていたが、みんなそのまま足も止めずに去っていく。
「たかが食堂のおばさんが払えるような額じゃないの!落ちなかったら、おじさまに言ってあなたクビにしてもらうから」
面倒なことに首をつっこむことはしない主義なので、この会話は聞かなかったことにしようと思ったのに「おじさまに言ってクビにできる」女性を興味本位で知りたくなる。
その女性がバタンと大きな音を立てて扉を閉め出て行った。
隣の部屋には食堂から繋がっているらしい。
食堂に足を向けると怒号をあげていた女性の姿はもう見えず、その代わり、顔面蒼白の白衣を着た小柄の中年女性が呆然として立っていた。
傍らには肩を抱いて「大丈夫ですよ」と慰めている女性も。
面倒なことに首をつっこむなと思いながらも、肩を叩いていた女性と目が合う。