先生、僕を誘拐してください。
緊張感のない、頭の悪そうなにへっとした顔で奏が笑うので、私は自分の頬を抓った。
抓っても痛むし、指を離してもヒリヒリと頬が悲鳴を上げている。
夢ではない、らしい。
夢であってほしい。
でも、夢ではない、らしい。
「えっと、本音くん。私と今会話してることは、下の奏は後で共有したりするの?」
混乱しつつ首を傾げた私は、ふと床のジュースを思い出して雑巾を投げてしみ込ませる。
「しないよ。だって今の奏はね、こんな感じ」
本音くんは、カーテンに包まってミイラ男みたいに全身を隠してしまった。
「自分を隠したくてぐるぐるに隠れたら、先生と話すこともできなくなっちゃったんだ。可哀想でしょ」
もごもごカーテン越しに話す彼は、本当にそこにいて生きているように見える。
実態を持っている? ということは今、同時に上と下で奏が二人存在してるの?
「なんか……難しい。とにかく下の反抗期の奏は本音さえも見ようとしてないのね」
「そーなんだよ。僕のことも否定するの。先生と此処で勉強していた時間が懐かしいよ。戻りたい」
また本音くんはべそべそと泣きだす。
奏の本音は、泣き虫で弱くて、脆い子みたいだ。
「で、朝倉一のことで私に会いに来たの?」