副社長はウブな秘書を可愛がりたくてたまらない
「あの、お疲れなのに、すみません……」

 シートベルトをしてエンジンが掛かった車は、静かに走り出した。

 立体駐車場から出ると、西に傾いた夕日のオレンジが窓の向こうから飛び込んできて、彼は「ん」と一瞬眩しそうに薄く目を細める。

 耳に掛けられた黒い髪がキラキラと反射していて、その美しさに一瞬ドキリと胸が高鳴った。

「全然疲れてないから、大丈夫」

 そう言うけれど、五年ぶりにアメリカから本社へと戻ってきた彼に挨拶するために、今日は役員たちが次から次へと副社長室に押し寄せていた。

 私が今日まともにした仕事といえば、その役員たちへのお茶出しぐらい。それも、彼がこっそりと指定してくれる飲み物をなんとか入れるのが精一杯だった。

 メモに書き殴ったから、家に帰ってリストにまとめておかないと……。

 早くなる鼓動を落ち着かせたいのに、車内に充満する芳香剤の甘めのムスクとシートの革が混ざり合う男性らしい香りに、私の鼓動はさらに早鐘を打った。

「あ、私、行き先……!」

 頭の中が混乱していて、行き先を伝えるのを忘れていた。
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