契約婚で嫁いだら、愛され妻になりました
「明日は急な仕事が入ったから、どうにか今日に変更してもらった。だから鈴音は明日ゆっくりしていろ」

 忍は素っ気なく答え、保険証を財布にしまう。
 鈴音はその横顔を見て、さっきと同様寂しい気持ちになった。

 自分の感情の変化に戸惑いつつも、気丈に振る舞い声をかける。

「お忙しいんですね」

 命に別状はないとはいえ怪我をした翌日から仕事をし、二日目からは深夜に帰宅、翌朝は早々に出社というところを見ていた。
 そんなに無理をしなければならないほど、仕事に追われているのだと感じた。

「やらなきゃならないことは山のようにある。時間がいくらあっても足りない。身体がもうひとつあればいいんだけどな」

 鈴音は、やっぱり自分のせいでかなり負担をかけているのだとわかり、肩を竦めた。

「す……すみません」

 ぽつりと零し、俯く。忍は目を丸くし、口に手を添えた。
 鈴音が気にしていることを察し、鈴音の頭にぽんと手を置く。

「あー、いや。そういう意味じゃない」

 そう言っておもむろにソファに向かい、腰を下ろしてリラックスしたように長い足を組む。

「自分でもわかっている。先を急ぎすぎるのはよくないと。それでもつい、夢中になってしまうんだ」

 ゆったりと背もたれに身体を預け、失笑して説明する。
 忍はゆっくり視線を上げ、小さく聞き返した。

「夢中に? 仕事に……っていうことですか?」

 すると、さらに自嘲した笑いを漏らす。肘掛けに腕を置き、手の甲に頬を乗せて鈴音へ上目を向ける。

「柳多や他の社員からも注意されたりしている。ハードワークもほどほどに、と」

 苦笑いを浮かべる様からは、穏やかな空気を感じられた。
 鈴音は無意識に口にする。

「今のお仕事、好きなんですね」

 鈴音のひとことに、忍はほんの一瞬瞳を大きくさせた。

 大手化粧品会社の副社長相手に、なんて陳腐な感想を述べたのだろうかと失態に気づくも、もう遅い。
 どぎまぎとして忍の顔色を窺うが、なかなか返答を聞くことができない。

 鈴音が気まずい気持ちで、どうにかこの場をやりすごす方法はないかと考えあぐねていると、忍の唇が薄っすら開くのを見た。
< 122 / 249 >

この作品をシェア

pagetop