契約婚で嫁いだら、愛され妻になりました
自分とはまったく違う立場の人間の電話を無視してしまった罪悪感から、声が小さくなってしまう。
ビクビクと忍の返事を待っていると、驚く言葉が聞こえてきた。

『今夜、空いてるか?』
「はい?」

まるで誘い文句。けれど、大企業の副社長で御曹司でもある人が、どこにでもいるような販売員の自分を誘うなんてするだろうか、と疑問が湧く。

戸惑って続く言葉が見つからない。
するとスピーカーから、さらに忍の声が届く。

『きみが言う、礼の件で会いたいと思ったんだが』

それを聞き、鈴音はハッとしてはきはき答える。

「あ、はい! そういうことでしたら! 八時には店を出られるかと」
『わかった。迎えに行く』
「えっ。わざわざ悪いですし、私が伺います」
『いや、いい。じゃあ、八時に』

恐縮して言うも、あっさり返され、忙しなく電話を切られてしまった。

(忙しそう……。そりゃ、そうだよね。今の電話ですら、時間取らせ過ぎちゃったのかも)

両手に持った携帯に視線を落とす。

鈴音は、今夜また忍と会えるということに対し、うれしいという感情はなかった。あるのは、『今日も仕事終わってからひとりじゃなくてよかった』という安堵感だけ。

いつまでも、誰かを頼りにしてなどいられないのはわかっている。けれど、山内という危険な男が現れてまだ数日だ。

(とりあえず、先のことは追々考えるとして、今日は黒瀧さんのことだけ考えよう)

そうして、鈴音は携帯をカバンに入れ、再び階段に足を向けた。
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