契約婚で嫁いだら、愛され妻になりました
「鈴音!」
「あ……」

秘書が事後報告になったかもしれないと思いつつも、鈴音が訪れた旨、一報を入れたのだ。
その内線から、おかしいと思った忍はドアを開けてみた。

思った通り、鈴音が目の前にいて忍は目を白黒させる。

「今の聞いて……」

鈴音は盗み聞きしていた事実に肩を窄めたが、開き直って忍を見上げた。
室内に入り、改めて向き合い頭を深く下げる。

「ごめんなさい。でも、忍さん。どうでもよくなったならよかったです。呪縛から解放されたんですね」

鈴音は忍と柳多の視線を受けながら、ゆっくり口角を上げていく。
忍と目を合わせ、眉尻を下げて微笑んだ。

「じゃあ、本当にもう妻(私)は不要ですね」
「それは……」

偽装夫婦なんて、いつまで続けるのかと不安になっていた。

初めは早く重い役割から解放されたかっただけだった。
でも、今抱えていた不安はまったく別の形になっていた。

いつまで彼の隣にいられるのかという、別れの不安に。

「柳多さん」
「は、はい」

鈴音は手を前に組み、密かに結婚指輪の感触を確かめる。
それから笑顔を作り、口を開いた。

「実は私、来る途中足を挫いてしまって。すみませんが、駅まで送っていただけませんか?」
「え? ええ。構いませんが……」

柳多は戸惑いつつも鈴音に手を差し出す。鈴音は手をそっと重ね、出口へ足を向けた。

「鈴音! オレになにか用があったんじゃないのか? だったら、オレが送るから」

忍はふたりの背中を追いかけ掛けたが、鈴音に窘められる。

「するべきこと……もうハッキリしたんですよね? 私に構わず仕事に専念してください」

凛として言われ、瞬時になにも言い返せなかった。忍の胸はざわつく一方で落ち着かない。

鈴音の柔らかな雰囲気が異様な気がしてならなかった。
こんな不安は未だかつて感じたこともなく、言葉に言い表せない。

鈴音は最後に狼狽える忍を振り返り、ニコッと笑いかける。

「私はずっと、忍さんを応援しています」

扉が閉まってからも、忍はしばらくその場から動けずに茫然としていた。
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