契約婚で嫁いだら、愛され妻になりました
鈴音が一日の仕事を終え、更衣室を出た直後に電話がかかってきた。相手は忍。

「もしもし」
『鈴音? 明日、いつも通り迎えに行くから』

忍に『鈴音』と呼ばれるのが未だに慣れない。電話のほうが余計に耳に残るため、意識してしまう。
鈴音は「はい」と答えるのが精いっぱい。

『今、どこ?』
「え? まだ職場で……これから帰るところですけど」
『ひとりで?』
「えっ。あ、今日は同じフロアで働いている友達が途中まで一緒に……」
『そう。じゃ、明日』

忍は言い終えるや否や、プツッと即電話を切られ、鈴音は目を丸くする。

(用件は明日のことだけだったよね? 迎えに来るって。それだけならメールの方が早くてラクな気がするんだけど……)

携帯に目を落とし、しばらく立ち呆ける。電話は突然かかっては来るものだが、相手が忍だとやたら心臓に負荷がかかる気がしてならない。

(メールだったら、返事するにも心の準備できるんだけどな。そういえば、メールは一度もないかも。メールしない主義なのかな)

これまでの忍とのやりとりを思い返し、小さく首を傾げる。そこに、向こう側から人の気配がして顔を上げた。見ると、梨々花とその同僚たちが仕事を終えてきたところだ。

「あ、鈴音! 待たせてごめん! 急いで着替えるから!」
「り、梨々花。お疲れ様。ううん、大丈夫。むしろごめんね」
「なーに言ってんの! 友達を守るのは当たり前でしょ! じゃ、そこで待ってて!」

梨々花がすれ違いざまに勇ましい顔をして、鈴音の肩を叩いた。

「……当たり前、か」

梨々花やほかの社員の背中を見送り、再びひとりきりになったときに呟いていた。

当たり前に誰かと付き合って、当たり前に結婚し、幸せになれるものだと思っていた頃が懐かしい。

今では、男運がないことをどうにかしようとする労力すら持ち合わせていない。当たり前のことが、自分にとっては難しいことなのだとわかった。

そんな矢先、一般的な〝当たり前〟から遠のくような出来事ばかりが身の回りに起こっている。

(明日……私、大丈夫かな)

鈴音は非現実的な現状を再確認して、大きく項垂れた。
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