記憶の中のヒツジはオオカミだったようです!
一度、自身を落ち着かせるために深呼吸すると、正午を告げる音が鳴りはじめ、忘れず録音ボタンを押す。
平日という園内の静けさに、オオカミたちが奏でる美しいメロディーが流れ、ここが動物園であることを忘れそうだ。
一匹から始まった遠吠えに、次々と仲間の遠吠えが重なっていく様子は、まるでコーラスをしているようだった。
神秘的な歌声の最後の旋律が遠退く頃、朔が戻ってくるのに気がつき、雪乃は口の動きだけで喜びを伝えた。
すると、朔の目に何かが閃いた気がした。
ずんずんと距離を縮めてくる彼から目が反らせない。
まるで、初めてきちんと朔のことを本当の意味で認識したかのように。
オオカミの遠吠えの余韻が消えていき、ヴォイスレコーダーを止めなければと思っているのに、意識は目の前に迫る彼の顔と唇に感じる柔らかさと温かさしか分からない。
自然と、そうすることが当たり前のように重なった唇は、これまでとは違い深く貪る激しさで、舌同士が絡み合う。
周りの景色が遠退いていき、反射的に目を閉じる。
時間としたら数秒程度だろうが、数分間に感じるキスが終わり、朔の顔が離れていくと、一気に周りの景色が戻ってきた。
「ちょ、ちょっと! 公共の場所でなにしてんのよ!!」
かあーっと熱くなる顔に、わなないている雪乃とは違い冷静な表情の朔は、彼女の口元に手を伸ばして親指で唇を拭った。
「あまりにも可愛かったから、我慢できなかった」
温かいペットボトルのお茶を雪乃の手に握らせ、困ったような笑みを浮かべた。
「どこかレストランのランチに連れていくつもりだったけど、はやく二人きりになりたい。できたら、昼食は家で食べたいな」
朔の提案に小さく頷いた雪乃は、スマートフォンとカメラを鞄にしまい、ベンチから立ち上がると彼の腕に自らの腕を絡めた。
『今、手を取るということは、キスより先を受け入れるということよ?』
動物園の出口に向かう間、何度も雪乃の心の中で自分自身が囁き続けた。