記憶の中のヒツジはオオカミだったようです!
それだけでも、いかに朔の雪乃に対する気持ちが適当なものではないのは分かった。だが、あの日傷つく雪乃を支えた卓馬には、朔の存在は有り難くもない。
その手を振り払うように歩き出すと、先にガレージの扉を開いておいてくれた香穂が車のドアも開けてくれた。
「悪いな」
「あとはあたしが、上手くやっておくから雪乃のそばにいてあげて」
後部座席に雪乃を寝かせ、静かにドアを閉めると朔の方を見ることなく運転席に乗り込みエンジンをかけた。
ガレージから車を出し、ちらりとバックミラーを見ると、香穂が朔の頬を力一杯張るのが見えた。
香穂も朔と雪乃の関係を知っている一人であり、雪乃が立ち直るまでを支えた一人だ。当時も、朔に対する怒りで震えていたが、ぶつけるべき相手は近くにいなかった。
あれから十年以上経っているが怒りは消えていなかったのかと、香穂の執念深さに卓馬は敵に回さないようにしようと、心の中で誓った。
彼女はまるで怒れる母グマのようだ。
結婚するために日本を離れなければならないと、出発の前日にバーに訪ねてきた香穂に雪乃のことを頼まれた。
決して、卓馬だけは雪乃を裏切らないでくれとーー。
頼まれるまでもなかったが、彼女が結婚を渋り出しそうな気がして頷いた。
そんな心配をよそに結婚式の時には、すでに雪乃は落ち着いていて、作家としての一歩を踏み出し朔の存在すら忘れているようだった。
あれから、一度だって朔の名前も話題も出なくなった。
心の傷を癒すには十分な時間だったはずなのに。
卓馬は奥歯を噛み締めた。思わずハンドルを握る手にも力が入る。