溺愛はいらない。
『泣くなよ。』
「っ––」
視界が悪い中、いつのまにか戻って来ていたアパート前。
立ち止まった芯は静かに私を見下ろしていた。
『俺はりぃを泣かすためにここに来たんじゃない。』
ゆっくりと、掴まれていた左手が放された。
それなのに、左手に残る熱は何…?
「何、それ…っ」
泣いてなんかないと、意地を張って目の下を濡れた手のひらで拭うけど、その行為に意味なんてなかった。
そんな私の真上にさされた大きな傘。
それはさっき芯がさしていた傘で、私の傘は芯が持っていた。
『俺から逃げた5年、どうだった?』
「いきなり、何を…っ」
『俺のことを完全に忘れられた日はあったの?』
芯の熱を帯びた大きな手が、私の左頬に触れる。
それを避ける余裕なんて、もう持ち合わせていない。
『答えて、りぃ』
2人きりの傘の中で、傘上に落ちる雨音だけが響く。
そんなの、愚問だった。
風化させた芯との思い出なんて、微々たるものだというのに。