徹生の部屋
それだけじゃない。
この店舗で働くようになって、私が初めてひとりで任されたVIPのお客様である。


海外留学を終え帰国し日本で働き始めた彼女は、高校を卒業した当時のままで子どもっぽい自室の模様替えを、この店に依頼してきた。

同性で年齢が近いという理由から、私が担当に抜擢されたのだけど、応接室で桜王寺さまのご希望を伺っているうちに、営業用のスマイルが強張るのを止められなかった。

「今度、弊社と提携するサクラホームを傘下にもつ、桜王寺グループ名誉会長のお孫さまなんですか?」

パキッとシャーペンの芯が折れる。
目の前で、優雅な所作でティーカップの縁にピンクの唇をつけていた桜王寺さまが、ダージリンのファーストフラッシュをこくんとひと口飲み込んでから頷いた。

「そう。その御縁でこちらを紹介してもらったの。素敵な家具が揃うからって」

「それは……ありがとうございます」

どうにか笑みを作りながら、内心で冷や汗をかいていた。

全国各地の住宅展示場に出展する大手ハウスメーカーであるサクラホーム。
現在、そのいくつかのモデルハウスに、当社の家具やファブリックを展示するというタイアップの計画がある。
マイホームの内外をまるごとプロデュースできるプランを展開する予定なのだ。

いまは本社がある九州とこの東京にしか拠点を持たない当社が、全国区になるチャンスだった。

その大切な取引先の血縁者のご機嫌を損ねたらどうなるか。ちょっと想像しただけでも、首筋が薄ら寒くなる。

「店内の商談スペースでなく、応接室にお通しして」との指示を受けた時点で、ただのお金持ちのお嬢さまでないとは予想していたけれど……。

緊張する私とは裏腹に、桜王寺さまは楽しそうにカタログをめくりながら気さくに質問を向けてくる。
それに丁寧に答えているうちに、彼女の好みが自分とかなり似通っていることがわかってきて、いつしか『理想の部屋』を提案することにだけ専念できるようになっていた。

お嬢様らしく「予算は気にしない」といわれたけれど、値段よりも、部屋全体の調和を考え吟味してお薦めしたし、当然品質は当店のお墨付き。

本店支店で用意できるものでは、どうしても私も桜王寺さまも納得がいかず、チェストだけは使う木材から選ぶオーダーにしていただいた。


それもつい先日、納品が済んだはず。






< 4 / 87 >

この作品をシェア

pagetop