徹生の部屋
「じゃあ」と来賓席に戻ろうとした楢橋さんが振り返る。

「徹生。おまえんちの屋敷だけど、さっきコウモリが……」

「知っている」

「そう。ああいうのは、早いにこしたことはないよ」

「わかっている。おまえこそ、早く行け」

追い払うように手を振り楢橋さんを急かす。

人混みに紛れて姿が見えなくなるまで友人の背中を見送ってから、徹生さんは大きく息を吐いた。

「さて、帰るか」

「え? 花火は見ていかないんですか?」

そろそろ開始される時刻だ。せっかくきたのだから、少しくらいは見ていきたい。

「言っただろう。とっておきの場所があると」

いろいろと確かめなければいけないこともあるし、まあいいか。
まだまだ来場者のほうが多い人の流れに逆らって、会場をあとにした。

「今夜は楓のごちそうを食べ損ねてしまったな」

そういえば、そんな話もあったっけ。
道すがらに出ていた屋台で買った、タコ焼きやらお好み焼きやらの袋から漂うソースの香りで、すっかりそんなことは忘れていた。

車では5分の道のりも、下駄で登り坂という悪条件のおかげで、何倍もの時間がかかる。
カランコロンと音を立て歩く後ろで、ヒューっと花火が打ち上げられていた。

ときおり立ち止まって振り返る。
坂を登るにつれて、見晴らしはどんどん良くなった。

「こんなによく見えるなら、わざわざ海岸まで行かなくてもいいですよね」

「そうしたら、こんなものが手に入らないだろうが」

まだホカホカのタコ焼きが入った袋を掲げる徹生さんは嬉しそう。

あと半分くらいだろうか。
夜空に咲き続ける色鮮やかな花束から、前方へと目を戻す。

実は、下駄の鼻緒が擦れて、ずいぶん前から足の甲に痛みが出ているのだ。
我慢しているつもりでも、徐々に歩みは遅くなり、足取りは重たくなっていく。

「歩くの、辛いか?」

庇うように歩く不自然な足音で、ついに徹生さんにバレてしまった。

「あと少しですし、大丈夫です」

坂のてっぺんにはもう、桜王寺邸の門が見えている。
ふん、と気合を入れて歩き出そうとした私に、タコ焼きが突きつけられた。
袋を受け取ると、徹生さんは私の前で後ろ向きにしゃがむ。

「ほら、おぶされ」

「え、いいです。平気ですから!」

「いいから、早くしろ。チンタラ歩いてたら、タコ焼きが冷める」

気にするのはそこですか!?
恐る恐る彼の背中に乗った。
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