徹生の部屋
きっと苦しい言い訳をしようとしたのだろう。
彼の半開きになった口に、私は自分の唇を押しつけて一瞬で離れる。

「それなら最初から言ってくれればよかったのに。もう少しマシなお芝居ができたかもしれません。――これは、ビックリさせられたお返しです」

「ちょっと待て」

驚いた顔で伸ばされた腕をするりとかわして室内に戻り、深々と頭を下げた。

「すみません。疲れてしまったので、今日は先に休ませてもらいます。おやすみなさい」

パタパタとスリッパを鳴らして、客間へと逃げ込む。
しばらくは開けられないようにドアに寄りかかっていたけれど、彼は追いかけてこなかった。

それにホッとしたのか、ガッカリしたのかは自分でもよくわからない。つけた背中をズルズルと滑らせ、そのまま床に座り込んで膝を抱えた。

涙なんか出ない。出るはずはない。
だって、束の間の夢を見ていただけなのだから。

浴衣を脱ぎ捨ててヒンヤリとしたシーツの間に潜った私は、その夜、奇妙な夢をみた。


灰色のネズミになった私はちょこんと縮こまり、吸血鬼のコスプレをした徹生さんに懇々とお説教をされている。
「危機管理能力」がどうとか、「なんとか」の自覚を持て、とか。まったくもって意味不明。

イヤイヤと首を振って涙を流す私の小さな頭を撫でながら、「……いから」と言った彼の言葉の全部を聞き取ることはできなかった。


――そうして。
私が桜王寺邸で過ごした最後の夜は明けていく。


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