魅惑への助走
 アパートの周りは人通りも絶え、時折周囲のアパートの中からテレビの音や、人の話し声が聞こえてくる程度。


 生温い夏の夜だけど、夜が更けるにつれて風が涼しさを増してきた。


 上杉くんがいない、一人きりだと思うだけで寂しい。


 取り残された気分になる。


 私の知らない女の人に会いに出かけていて、携帯の電源も切ってるんじゃないかって邪推までしてしまう。


 「上杉くん」


 独り言で名前を呼んでみたけれど、当然反応がない。


 一人で居ると、さっきまでのことを思い出してしまい、気分が悪くなる。


 片桐に強引にソファーに押し倒され、唇を奪われた。


 もしもあの時、りらさんが来てくれなかったら……と考えただけでぞっとする。


 こんな熱い夜なのに、身震いしてしまう。


 彼氏以外の男性にあんなことをされて、一歩間違っていたらそのまま……ってことも十分にあり得た。


 唇の感触が消えない。


 早く上杉くんに忘れさせてほしいと願っても、どこにもいない。
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