魅惑への助走
 「明美……!」


 目から涙が溢れ出す。


 異変に気付いた葛城さんが、焦って私の肩を抱き寄せる。


 「ごめん。俺、最悪だね。いくら明美に早く別れてもらいたいからって、人でなしなやり方だった」


 「いえ……」


 人でなしなのは、私のほう。


 平気で裏切りを続けておいて、自分は悪者にならない別れ方をあれこれ模索していたからこそ、葛城さんはさっきみたいな提案をしてきたのだ。


 でもやっぱり、「別れさせ屋」を使う気にはなれなかった。


 向こうを悪者にして別れることは可能とはいえ、ハニートラップみたいに女を差し向けるなど……できない。


 自らの裏切りに加え、上杉くんの心をもてあそぶようなことまですると、さらに罪が重くなるような気がした。


 それはさすがに心苦しかったのと。


 二人で築き上げた思い出は、綺麗なまま残しておきたいという私の身勝手もあった。


 私は上杉くんの……初めての女。


 これから先、上杉くんがどんな女性と巡り会おうとも、初めての相手は生涯でたった一人しか存在しない。


 初めての思い出は汚すことなく、美しい記憶として残しておきたいと願っていた。
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