魅惑への助走
 久しぶりに上杉くんを思い出した私は、かなり動揺している。


 今頃どうしているのかと考えただけで。


 別れてから努めて連絡を取らないようにしてきた。


 いつの間にかカレンダーはMay(五月)。


 すでに下旬を迎えている。


 ロンドンは西岸海洋性気候なので、北緯50度以北という緯度の割には温暖なものの、東京からすればかなり冷涼。


 ただし梅雨など存在しないので快適。


 ロンドン地元の人たちは、夏場など霧が多くてうんざり……など話してはいるけれど、日本の初夏の梅雨のじめじめに比べれば全然ましなような気がする。


 五月といえば、上杉くんはもう司法試験の受験を終えた頃だろうか。


 満足な結果を得られただろうか。


 あのまま私と一緒にいたら、日々の安楽な生活に流されて今年も残念な結末になっていたことは明白。


 それゆえ互いのためにも、あの時別れて正解だったのだと自分の中で何度も言い聞かせている。


 絶対に後悔することなどない、後悔など有り得ないと。


 ……なのに一人、テムズ川の川岸からロンドンの夕日を眺めていると、言葉にはならない切なさに襲われる。
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