魅惑への助走
 「私……」


 榊原先輩に偶然再会するまでは、そんな気持ちがあったのも。


 そして武石さんに勧められて、心が揺らいでいるのもまた事実。


 高収入に、そして有名になりたいという名誉欲に惹かれて。


 そして……美しいラブシーンを演じてみたいという願望。


 束の間の無言の間の中で、私は迷いに迷っていた。


 「私……、挑戦してみたいです。演じるほうではなく、製作する側として」


 一瞬の迷いの末に、こういう結論に辿り着いた。


 やはりカメラの前で、全てをさらけ出す勇気はない。


 でも偶然目にしたこの世界を、今夜限りで立ち去るのはかなりもったいないと感じた。


 何らかの形で携わっていたい。


 昨日までは全く関わることもなかった、アダルトビデオ業界というアングラな世界。


 遥かなるゴールが霧で霞み、行き先を見失っていた旅人のようだった私にとって。


 ここは本当に落ち着ける場所のように感じられたのだった。
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