魅惑への助走
 「……」


 「……」


 互いの姿を認識したものの、互いに無言のままだった。


 突然の再会は、戸惑い以外の何物でもない。


 事情を知っている社長も榊原先輩も、この場をどう乗り切ろうか混乱し、どうすることもできずにいる。


 「あ、社長、お疲れ様でした。こちらの方は以前ここの看板作家さんだったレジェンド、艶花.Tさんらしいですね。お会いできて光栄です」


 事情を知らないバイトの子が、楽しげな声で社長に告げた。


 艶花(あでか).Tとは懐かしい、私のペンネーム。


 本名をアダルトビデオのパッケージに名前を掲載できるほど、AV業界に対して世間は優しくないので、この名前で活動していた。


 TAKEDAを逆に読んだのが由来。


 一時はSWEET LOVE発展の立役者だった榊原先輩をしのぐほどの人気を有していたのだけど、突然の引退。


 電撃結婚という事情をはっきりユーザーに発表しないまま業界から身を引いたため、今までファンだった購買者の間で私の存在は伝説化しているらしい。


 定期的に復活待望論が沸き起こるくらいに。
< 608 / 679 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop