魅惑への助走
 「違う。妊娠はしてなかった」


 葛城さんが出張に出かけている間に、また今月も生理が始まってしまった。


 先月までだったら落胆極まりない瞬間だったのだけど、今回ばかりは……。


 「そのこととも全く無関係ではないのだけど、私……」


 「どうした? 早く喋ってくれないと、もう我慢できないよ」


 私を抱きしめながら、葛城さんは言葉の続きを待っている。


 「……」


 「そろそろ時間切れかな。待っていられないよ」


 どう切り出すべきか思案するあまり躊躇していると、体はシーツの上に横たえられていた。


 「今は余計なことは考えないで。俺だけを見て」


 優しい声が耳元に注がれる。


 いつものようにこのまま溺れてしまいたい……。


 でもそれでは、繰り返すだけ。


 「葛城さん」


 流されてしまいそうな身も心も必死で食い止める。


 「明美、」


 私を官能の世界に閉じ込めるため、再び唇を塞ごうとしたその時。


 「私と……、別れてください」


 必死の思いで、ようやく告げることができた。
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