臆病者で何が悪い!


レストランから職場へ帰りながらも、京子のことを少し話した。


「京子には、言っておこうと思ってる」

「生田君のことだね? うん。その方が、いいかもね……」


希が何かを察したかのようにそう言った。


「希、何か知ってるの?」

「うん。京子、この一年くらい生田君のこと好きみたいだったから。ほら、京子、生田君が沙都の課に異動するまで同じ課だったじゃない? それで、同じ課の時は気まずくなるのがイヤで何も出来なかったけど、離れたらって、思っていたみたい」

「そうだったんだ……」


一年――。

知らなかった。

「でも、こればっかりは仕方がないことだし。しょうがないよ」

希が私の肩をポンポンと叩く。

「うん」

しょうがないこと。
むしろ、私はそちら側の気持ちならよくわかる。
そんなことばかりだったから。

だからこそ、気が重い。



「今日、待機かかるぞー」

夕方近く、課内にそんな声が響いた。

「って、ここのところ毎日だろ……」

係長が大きく溜息をつく。
今、臨時国会が開かれている。
まあ、だからいつそうなってもおかしくはないわけで。
最近、うちの課が担当している事業に興味を持ってしまった国会議員がいるとかで、やたらと質問をして来るのだ。

「国会担当、なんだって?」

「今、詳しい内容詰めてるところみたいです」

省内には国会議員から質問の有無やその内容をいち早く掴むことを業務とする、国会担当の部署がある。
そこからいかに早く情報を得るか。それが、その後の仕事を左右するのだ。

その質問内容がはっきりするまで、そしてその質問がどこの課が担当することになるのかが分かるまでこうして職員を待機させることになる。

「……今日も、タクシーコースかな」

隣の席で田崎さんが呟いた。

「そうですね……」

「でも、内野さんは頃合いを見たら帰っていいから。多分、ここのところの傾向から考えると結構難しい話だし。上の方でやらざるを得ないような内容だから」


田崎さんがそう言ってくれた。
確かに、判断が慎重になるようなデリケートな問題で。私のような下っ端がどうこう出来るようなものではなかった。

「とりあえずは、待ちだね」

「はい」


いつ、京子と話が出来るだろうか。
なかなか時間が見つけられずにいた。

こう考えると、同期とは言え、京子とは個人的に二人で会ったりしたことはなかったということに気付く。


今日も長期戦になりそうだ。
時間があるうちに夕食を調達しておくことにした。

「これから買い出しに行きますが、よければ何か買って来ましょうか」

同じ係の職員にいちおう声を掛けてみる。

「ああ、じゃあ僕の分頼めるかな」

係長と早速目が合う。確かに、係長は今日は大変な一日になると思われる。

「了解です」

「じゃあ、僕の分もいい?」

「私も」

結局、私の席近くの職員5人分のお弁当を買って来ることになった。

「じゃあ、行ってきます」

これくらいは下っ端職員の仕事だ。
さっさと行って来よう。

急いで部屋を出てエレベーターに乗り込んだ。
そこに他に職員はいなくて私一人だったから、大きく伸びをした。

チン。

途中階で止まり扉が開いた。
慌てて姿勢を正すと、京子がただ一人乗り込んで来た。

「沙都……」

何故か、京子の方も少しその表情を強張らせた気がする。
せっかくこうして偶然会えたのだ。
言うなら今しかないのかもしれない。先延ばしにすればするほど言う機会を逃してしまいそうだ。
息を飲む。そして、心を決めた。

「あの、京子。今から、帰り?」

「うん。そう。今日は、早くあがれて……」

「そっか。少しだけ、時間いい? ほんの少しでいいの。私もこれから買い出しだし。京子が駅に行くまで」

エレベーターの中に張り詰めた空気が漂う。
いつもなら気にならないエレベーターの振動音が耳についた。

「うん、いいよ」

「ありがと」

土曜日の遠山の二次会で、生田の隣に立っていた姿を思い出し、胃が痛くなる。

結局エレベーターが一階にたどり着くまで、私たちはどちらも声を発することなく無言のままだった。

世間話が出来ないほどに、京子も何かをもう察しているのだろうか。
エレベーターの扉が開き、一階フロアに足を踏み出したと同時に、改めて心を決めた。

「あのね、この前、京子に聞かれたことなんだけど――」

「沙都。土曜日、どうして先に帰ったの? あの時、生田君も帰ったよね」

私の声を遮るように、京子が強い口調で言い放つ。
私を見つめるその目は、どことなく苦しげに揺れていた。
歩きながら話せるような雰囲気になど、なるわけがなかった。

エレベーターの前で立ち止まるわけにもいかない。
一階フロアの片隅に、京子に促されるように移動した。

玄関付近には退庁する職員で溢れている。

「この前、京子に生田と付き合ってるのかって聞かれたよね。あの時は、違うと答えたんだけど、実は、あの後付き合うことになって。嘘をついたわけではないんだけど、あの時伝えたことが正しいことじゃなくなっちゃったから、京子には伝えておこうと思って」

どんな風に言ったところで、京子をいい気分にさせるものではない。
すべてをただありのままに伝えることにした。
そうすることしか、出来ない。

「……えっ、嘘……」

消えてしまいそうな京子の声で、どれだけ衝撃を受けているのかが分かる。
そう言ったきり言葉を発することもできないのか、ただ私を見つめるばかりだった。

京子の傷付いたような驚いたような目を、それ以上みていられなくなった。
私ごときがこんなことを言わなければならないなんて。
今まで、傷付けられる立場ばかりだった。だから、嫌というほどに今の京子の気持ちが分かってしまう。
俯いてしまう私は、卑怯なのかもしれない。
でも、他人が傷付く姿は見ていられない。

「……ねえ、沙都」

揺れている声に、おそるおそる顔を上げる。

「沙都は、いつから生田君のこと好きだったの……?」

「え……」

切羽詰まった京子の声が胸を貫いて、すぐに答えを返せない。それに――。
いつからだなんて言えるほど、生田のことを前から特別に想っていたわけではなかった。

「私はね。沙都には言っていなかったけど、生田君と同じ課になった時からずっとなの。もう三年くらい」

一年、なんかじゃなかったんだ――。

「同じ課で仕事して毎日顔を合わせて。それでも、生田君はああいう人でしょ? 当然生田君と付き合えるかなんてわからない。私のことどう思ってくれてるのかも全然分からないし。だから、もし想いを伝えて上手くいかなかったら気まずくなるから、生田君が異動するまで心の中に留めていた。やっと課が別になって、生田君にもっと近づきたいってそう思ってたのに……」

「京子――」

「どうして、つい最近同じ課になった沙都が、さらって行っちゃうの……?」

「それは――」

「沙都、生田君のことなんて全然見てなかったじゃないっ!」

今にも涙を零しそうな京子を前に、何も言えなくなる。
だって、京子の立場に立てば、どれもこれも全部京子の正直な気持ちだと分かるから。

「私、生田君のことずっと見ていたから、それくらいのこと分かるんだよ。生田君に好きだって言われて、それで生田君がカッコいいから『まあいいかな』って思った? 他の男の子からは全然女の子扱いしてもらえないのに、一番カッコいい生田君だけが女扱いしてくれて舞い上がった?」

言葉を吐けば吐くほど感情的になって行く京子の表情は、どんどんと歪んで行く。

私は、自分勝手なのかな。私は――。
きりきりと胸が痛む。心にまで響くほどに痛みが広がって行く。

「沙都って、そんな子だったっけ? 流されて付き合うような子じゃない。サバサバしてて、みんなのお姉さんみたいで。いつもみんなのために行動してくれて。困ってたら助けてくれる。そんな沙都が、好きでもないのに付き合うようなことしないでよ!」

京子の声に、思わず目を固く閉じた。

私、一体何をしてるんだろ――。

京子の言葉に揺さぶられまくっている自分自身が、一番醜いと、そう思えて。
自分がとっても卑怯で汚い人間に思えた。

「――香川」

その時、後ろから、いるはずのない人の声がした。

< 149 / 412 >

この作品をシェア

pagetop